60点で妥協してもおだやかな人生になる
どんなことでも、精一杯やってみると多くのことがわかります。どこが自分の限界で、何が大切か、どこは手を抜いてもいいかなど、事の全容がおおよそ明らかになるのです。
また、終わってみれば達成感もある程度味わえます。何より、精一杯やっている間の「これはどうする?」などの思考力や、集中している時間の充実感などは、のんべんだらりと暮らしていれば得られない人生の貴重な宝物になります。
だからこそ、大人は子どもに、手を抜かずに精一杯、力一杯やることを勧めます。
その点で、すでにそれらの貴重な宝を手にしているお年寄りに、「精一杯やったらどうですか」とアドバイスしたりはしません。そんなことを言われなくても、精一杯やる大切さや魅力は、とうにわかっているからです。
「やらなければならない」「やったほうがいい」と本人が判断すれば、垂れ込めた雲のように低くなってしまった気力、体力、記憶力の間をぬって現れる晴れ間をねらって、自ら進んで事に当たるでしょう。
なぜこんなことを書いているかと言うと、私自身が「人には精一杯やったほうがいいと言ってきたのだから、自分も精一杯やってみればいいじゃないか」と、励ましとも叱責とも取れることを子どもの世代から言われる年齢になったからです。
ある程度の齢を重ねると、60点で妥協してもおだやかな人生になることがわかります。むしろ、100点を目指して頑張りすぎると、心身ともに疲れ果ててしまい、本人だけでなく周りの人にも悪影響が出ることもあると知っているのです。
現代人に必要な「上手な力の抜き方」
そんな人に対して、私は「100点ではなく、60点を目指せばいい」とアドバイスすることがあります。これは「心に余裕を持って事に当たれ」という金言ですが、この言葉には思わぬ落とし穴があります。
先に触れたように、100点を目指して精一杯やってみた経験が一度でもあれば、必要な力加減や手抜き加減がわかります。これが余裕になります。
たとえば、時速100km/時で走れる車が60km/時で走るのは余裕があります。しかし、60km/時しか出ない車が60km/時で走りつづけるのは大変で、やがてエンジンやタイヤなどが悲鳴を上げてしまいます。
民謡研究家の竹内勉さんは、生前担当していたラジオ番組で三味線の弾き手について、こうおっしゃっていました。
「同じテンポで三味線を弾いていても、『ゆっくり弾いて』と言うのは、もっと速く弾ける人がスピードを落として弾いている場合です。そんな時は、『ゆったり』弾いていると感じます。しかし、その速さが精一杯な人が弾いた場合は、『遅い』と感じるものです」
他にも、夕飯のメニューの品数を頑張って6品作っていた人は、4品にしても問題はありません。作ろうと思えば作れる実力があるのですから。

