お金の欲が煩悩ではないパターン
仏教で言えば、心の乱れを自覚したら、心を乱している原因を明らかにしていくのと同じです。その原因を“煩悩”と呼びます。
煩悩は単なる“悪い心”のことではなく、“心を乱す価値観や考え方”のことです。心が乱れなければ、煩悩ではありません。
たとえばお金の欲も、それによって心が乱れなければ、煩悩ではありません。しかし、「もっともっとお金が欲しい」「お金が少なくなるのは嫌だ」と心が乱れるなら、お金の欲は煩悩の仲間入りをするのです。
今やっていることに区切りをつけられない理由は、いくつか考えられます。
自分がやったことに自信が持てず、「本当にこれで大丈夫だろうか」と心配になる場合もあるでしょう。
しかし、大丈夫かどうかは、あとになってからでないとわかりません。バイキング会場で料理を取る時と同じです。まずは「ま、こんなところかな」と思った量でいいのです。足りなければ、また取りに行けばいいのですから。
仕事では、時間はないけれどもっと丁寧にやりたい、もっと細かくやって、やり切った感を味わいたいなどの理由で、モヤモヤすることもあるでしょう。
しかし、それをつづけていれば次に進めません。そんな時こそ「ま、とりあえずこんなもんだ」と区切りをつけ、切り上げたほうがいいケースもあるものです。
あの世に行ってから徹底的にやればいい
周りには、「それで満足しちゃうの?」と思われるかもしれませんが、本人がモヤモヤしているより、次に進みたい、別のことに取り組みたいと思うなら、「これでよし」として進めばいいのです。
いわばこれは、「やったことを棚上げにして先に進む」ということです。“棚上げ”という言葉には、あまり良いイメージがないかもしれませんが、解決・処理を一時保留にして先に延ばすという意味で、悪い意味ばかりではありません。
あるいは、「現会長を棚上げして、名誉顧問が牛耳る」など、形の上では配慮・敬意を払いながら、実際は無視するという意味もあります。しかし、自分がやっていることを棚上げにするのですから、覚悟さえすれば問題はないでしょう。
少しの勇気を出して「ま、こんなもんだ」と棚上げにした時、それを聞いた人が「こんなもんだ、って、どんな門だよ」とツッコミを入れてきたら、こんな返答はいかがでしょうか。
「私の『こんな門』は、日光東照宮の陽明門のことです。あの門の柱に使われている木は一本だけ、地面に生えていた時と上下が逆になっているものがあります。
これは、物事は完成と同時に崩壊が始まるという言い伝えを逆手に取り、あえて完成させない手法を取っているのです。私のやっていることも同じで、徹底的にやらないようにしているのです」
もっと丁寧に、より細かく、最後まで徹底的にやるのは、あの世に行ってからやればいい、くらいに余裕を持って考えてもいいのです。あなたの人生なのですから、あなたが決めて、それでレッツ・ゴーしていいのですよ。

