親に言わずに転職を重ねる
損保会社に就職した焼場さんだったが、今度は仕事にやりがいを感じられなかったため、9カ月で退職。両親には言わなかった。
「コールセンターの仕事だったんですが、僕である必要性を感じなかったんです。前職より給料がよく、割と貯金があったため、退職後は3カ月くらい働かずに過ごしましたが、図書館で、20代の若者に正社員に挑戦する機会を提供するプロジェクトのチラシを見つけて、面白そうだなと思って応募してみました」
説明会に行き、インターンが決まり、インターン後の2022年の11月、その会社に就職できることになった。ところがその会社も、1年くらいで辞めることに。
「インフラエンジニアと呼ばれる仕事だったのですが、プロジェクトごとに職場や一緒に働くメンバーが変わるんです。そこも夜勤がある会社でしたが、最初の案件はチームの仲も良くて、すごく楽しかったんです」
しかし、次の案件が合わなかったのか、不眠の症状が出始める。
「僕としては、チームでコミュニケーションを取りながらやりたかったんですけど、全くコミュニケーションがないチームだったんです。会社へは電車で1時間以上かかるため疲れてきてしまって、2023年4月に精神科に予約を入れました。でも、ゴールデンウィークのおかげで症状が良くなったので、予約を取り消してしまって……」
6月にその案件をなんとかクリアしたが、8月に入った案件がまた合わなかった。
「社員同士の仲が悪く、ギスギスしていました。今度こそ精神科を受診すると、『適応障害』と診断され、休職を勧められました」
9月に1カ月間休職した焼場さんは、「また合わない案件で体調を崩すのは嫌だ」と考え、転職活動を始める。
通勤に疲れやすく、人間関係の影響を強く受けてしまう傾向があることに気づいていたため、今度はテレワーク中心の会社を選んだ。
10月。新しい会社に勤め始めると、前編の冒頭につながる。
「10月1日に入社して、10月19日に退職しました。その会社には全く問題はありません。完全に僕の持つ疾患のせいでした……」
炊き出しで生活相談
退職した翌週がちょうど精神科の受診日だった。退職したことを伝えると、主治医は生育歴について焼場さんに訊ねた。
焼場さんは、自分の家族のことや中学受験でつらかったこと、大学入学から現在までのことを1時間ほどかけて話す。
静かに頷きながら聞いていた主治医は、焼場さんが一通り話し終わると言った。
「あなたは適応障害ではありません。双極性障害です」
「主治医から双極性障害の説明を受けて、自分でもネットなどで調べてみたら、腑に落ちることがいっぱいありました。確かに、気分の浮き沈みが激しくて、頑張れる時と全く動けなくなる時を繰り返していたなあと思いました」
中学受験の時や大学時代はまだうつ状態の時でも全く動けないほどではなく、“気分の波”程度で収まっていた。だが、大きく生活に支障が出るような波が訪れ始めたのは、就職後からだった。
「主治医には、もともと遺伝的な要因でなりやすい人はいるけれど、そのきっかけとなる出来事が必ずあり、『夜勤がある仕事に就いて、生活リズムが崩れたことが発症のきっかけになったのではないか』と言われました。僕の場合、転職活動中や転職してしばらくは躁状態でめちゃめちゃ頑張れますが、その反動でうつの波が来ると、全く動けなくなってしまうということを繰り返していました」
双極性障害は100人に1人弱が発症し、20代前後で多く発症すると言われ、決して珍しい病気ではない。
10月19日にテレワークの会社を辞めて無職になった焼場さんは、11月には貯金が底をつきかけていた。
翌月の家賃を払うアテがなかった焼場さんは、ネットで炊き出し情報を得ると、新宿区の公園に行き、炊き出しをしているNPO職員に生活に困っている旨を話す。すると、生活保護を勧められ、NPOの本部に来るように促される。
NPOの本部では、生活保護に関する書類の書き方の手解きを受け、最後に扶養照会について説明された。その時、焼場さんは、「家族には連絡してほしくないです」と言った。
「親にはそもそも、2社目の会社を辞めたことを言ってなくて、すでに3社目も4社目も辞めています。それを説明する気力が、当時の僕にはもう残っていませんでした」
NPOの職員のアドバイスで「扶養照会に関する申出書」を書いた焼場さんは、扶養照会なしで申請が通り、11月から生活保護の受給がスタートした。

