政策変更でインフレからデフレへ
もっとも、タイミングやバランスがむずかしい政策であることは間違いありません。
綱吉時代末期、地震や富士山噴火などでまたまた幕府財政は悪化します。荻原重秀は再び貨幣改鋳で乗り切ろうとしますが、この「宝永の改鋳」は不作が重なったこともあって経済に混乱を引き起こし、物価高騰を招いてしまいます。
6代将軍・家宣(将軍在任1709~12)の顧問役をつとめた儒学者の新井白石は荻原重秀の貨幣改鋳を「あんなもんごまかし、インチキやないか」と嫌悪し、金の含有量を元に戻します。すると今度は貨幣の出回る量が少なくなってデフレに振り切れ、米の値段が3分の1にまで下がります。武家から農民まで収入減に直面し、さらには直後に将軍が死去するなどの出来事が重なり、白石はクビになります。
適切なマネーサプライがインフレやデフレを調整し、人々の暮らしと政府財政を左右する。これは現代の経済政策においても変わっていません。


