逆効果になった「最高指導者」の死
2026年2月22日には米国の軍事的脅しが続く中、イランは経済制裁解除とウラン濃縮権の承認を条件に高濃縮ウランの半分を国外に出して残りを希釈し、中東地域での濃縮コンソーシアムへの参加も検討するとロイター通信が報じた。もちろん、これは「最終合意」ではない。軍事衝突回避を狙って、あくまで交渉を続けるための譲歩を提示しているのだ。
イランはエスカレーション(軍事衝突拡大)の管理にも周到に対応している。2026年2月17日、核協議が続くなか、イランは実弾演習を理由にホルムズ海峡を一時的に閉鎖したとイラン国営放送が報じた。「戦争は望まないが、緊張は高めることができる」というメッセージを出すことで、相手からの譲歩を引き出すことを狙っている。
議題の管理にも抜け目がない。イランは核交渉を核問題と経済制裁解除に限定し、米国が持ち込みたいミサイル問題などの論点を切り離そうとしてきた。ただ、行き詰まりと交渉の打ち切りを避けるため、イランは米国との対立点を解決するための方法を書面で提案を提出する見込みであると、ロイター通信が2月18日に伝えている。議題を絞り、別レーンで交渉を詰めて行こうとする手法だ。
決して自ら交渉を打ち切らず、「次の一手」を残し続けることで、状況が変わる時間そのものを味方につけようとしている。
何よりも厄介なのは、イランの交渉継続の目的が最高指導者個人の延命ではなく、イランのイスラーム体制そのものの延命をゴールに据えて動いている点だ。ハーメネイ師の死で交渉が終焉するわけではない。むしろハーメネイ師は「殉教者」となり、次男のモジタバ師がイラン最高指導者に選出された。暗殺をも恐れないハーメネイ体制継承の強い意志の表れだ。
日本がイランから学ぶべきこと
2026年2月の核協議は、米国の強い圧力で始まった。米軍は中東地域に空母2隻を展開し、事実上の臨戦態勢を敷いたうえでイランに交渉を呼びかけた。大規模な米軍の軍事展開で、イランは攻撃を受けることをすでに覚悟していた。
米国の国家安全保障科学研究所によれば、衛星画像の分析から、イランの首都テヘラン南東部のパルチン軍事施設ではコンクリートや土を積み上げ、空爆に備える動きが確認されていた。パルチン軍事施設には、核兵器開発に不可欠な高爆発物封じ込め容器などの存在が指摘されている。
2月26日の核協議のわずか2日後、次回予定が決まっていたにもかかわらず、イスラエルは、アメリカの後ろ盾を得て、イランを空爆した。突然の空爆で、ハーメネイ最高指導者をはじめとする政権幹部の約40人が一瞬にして殺害された。CNNによると、事前に米中央情報局CIAがハーメネイ師の動向を把握し、イスラエルと緊密な連携をとっていたという。こうした経緯から、核協議は攻撃の口実づくりに過ぎず、当初から首脳部を一挙に排除する「斬首作戦」が計画されていたのではないかと見られている。
しかし、1978年に起きたイラン革命後、すぐにイラン・イラク戦争が始まった教訓から、イラン政府は有事が起きても簡単には体制が崩れないように、重層的な官僚機構を築き上げてきた。何人かの高官が失脚しても、あるいは要職が空いても、組織はすぐには止まらないように設計済みだ。
イランの交渉術はそう簡単に切り崩せるものではない。
日本ではしばしば、率直にものを言う姿勢が好まれる。しかし、隣国に戦略的な脅威を抱える日本にとっても、イランのこうしたしたたかな交渉術から学ぶ点はあるのではないだろうか。


