フセインと同じ轍は踏めない

核協議で、トランプ大統領はイランにウラン濃縮の全面破棄を要求した。だが、これはイランにとって到底受け入られない話だった。

もともとウラン濃縮はイランが経済制裁で困窮しながらも、国家の威信をかけて行ってきたプロジェクトだ。イランの「科学技術力」を誇示し、主権と権力の象徴として扱われてきた。ウラン濃縮技術の放棄は、すなわち米国に屈服することを意味する。国内での権威は失墜し、求心力は大幅に低下しかねない。

そして、何よりも核開発を放棄した同地域の独裁者はいずれも悲惨な最後を迎えた。リビアの狂犬と呼ばれたカダフィ大佐、そしてイラクのサダム・フセイン大統領だ。

カダフィ大佐は2003年12月に国連制裁解除を見返りや欧米との関係改善を期待して、核兵器開発を含むWMD(大量破壊兵器)計画の放棄を表明した。その後、2011年のアラブの春の民主化運動の混乱で政権は崩壊。反政府勢力との戦闘の末、最終的にはNATO軍の介入が決定打となり、カダフィは殺害された。

サダム・フセイン大統領も1991年の湾岸戦争後、国連安全保障理事会決議に基づく国際査察を受け入れた。国際原子力機関(IAEA)などによる査察と廃棄プロセスを通じて、イラクの核兵器計画は事実上解体されていった。しかしその後、大量破壊兵器保有やテロ組織との関係の疑惑で、米国を中心とする軍がイラクへ侵攻。フセイン大統領は逮捕され、絞首刑によって処刑された。

こうした事例は、イラン指導部にも教訓として刻まれているだろう。

2003年、捕らえられた直後のサダム・フセイン
2003年、捕らえられた直後のサダム・フセイン(写真=PD US Military/Wikimedia Commons

トランプを翻弄したイランの巧みな交渉術

米国の強硬な脅しに対しても、イランはウラン濃縮技術に関して譲歩することはなかった。一度譲歩すれば追加要求が連鎖しかねないという不信感があったからだ。

イランの交渉は巧みだ。締め切り好きなトランプ大統領は、「2週間」「2カ月」といった時間枠を設定して圧力をかける。しかし、イランの交渉術は派手な一発逆転を狙うものではない。相手に屈しない構えを保ちながら、時間をかけて相手の体力を削っていく。そして、あわよくば政権交代を待つ。いわば長距離走の戦い方だ。

トランプ大統領との核交渉で、イランが見せたのは結論を急がず、交渉の次を確保し続ける運用術だ。ポイントは、時間稼ぎを空回りにしないこと。相手が期限と軍事カードで圧をかけてくるほど、イランは交渉を持続させるための譲歩を小出しにして、交渉の延命に必要な「最低限の前進」を演出する。

象徴的なのが、次回協議の日程そのものを成果にする手法だ。2025年4月にオマーンで開かれた協議では、双方が前向き、建設的と評価したものの、実質的な到達点は「また来週会う」という合意だった。

ロイター通信が2025年5月に報じた「政治合意」案では、イランが濃縮を1年間停止し、高濃縮在庫の搬出や燃料板への転換を検討し得る一方、見返りとして米側に「民生目的の濃縮権の承認」や凍結資金の扱いを求める構図が示された。ここで重要なのは、永久的な放棄ではなく「1年」という猶予を手に入れる提案になっていた点だ。