「以心伝心」はトラブルのもと
古来、日本では「以心伝心」が美徳とされてきました。口に出していわなくても相手に真意が伝わるのが良い関係だというわけです。
その背景には、「和」を重視する文化があったのかもしれません。自分の意見をはっきりと口にすると波風が立ち、周囲との摩擦が生じるので、そういう人は協調性がないと見なされました。だから日本では、「空気」を読んで、相手が黙っていてもいいたいことを忖度する人が好かれてきたのでしょう。
でも、いまや「以心伝心」はトラブルのもとでしかありません。同じような価値観やライフスタイルを持つ人々だけで暮らしていた前近代の小さな村社会ならともかく、近代社会は多様な人々の集まりです。「いわなくてもわかってくれる」などということはあり得ません。
いや、昔の村社会だって、コミュニケーションの怠慢によるトラブルはいくらでもあったでしょう。たしかに「以心伝心」で人間関係がうまくいくこともあったでしょうし、それはそれで居心地がよいのかもしれませんが、言葉にせずに伝えられることには限界があります。
たとえば、コミュニケーションの怠慢によるいざこざの中でもよくあるのは、「イベントへの誘い忘れ」です。あなたの会社でも、会食のような場に呼ばれなかった人が機嫌を損ねて、幹事との関係が悪くなったりすることがあるのではないでしょうか。こんなことは、昔の村社会でもしばしばあったにちがいありません。
こういう場合、幹事が「あの人は呼びたくない」と悪意を持ってわざと声をかけなかったこともないわけではないでしょうが、ほとんどは「誘い忘れ」です。
幹事は「声をかけなくても来るだろう」と思っていたけれど、相手は誘われないから自分がのけ者にされたと勘違いして腹を立てる。よくあることです。
ギリシャ神話で大戦争が起きた背景
もし何かの事情でその人を誘わないことにしたとしても、それを事前に伝えないのは怠慢でしかありません。それが「以心伝心」でわかり合えるわけがないからです。
コミュニケーションに手を抜かず、「今回は急な日程だったから、たまたまその場にいる人だけで決めた。次回はぜひ」とでもいっておけば、人間関係に波風が立つことはないでしょう。
イベントへの招待といえば、ギリシャ神話にもこんな話があります。開催されたイベントは、英雄ペレウスと海の女神テティスの結婚式。大神ゼウスによって盛大に開かれたのですが、そこに不和の女神エリスが招待されませんでした。きっと「あの人が来ると面倒なことになるから、呼ぶのはやめておこう」と考えたのでしょう。
怒ったエリスは結婚式に乱入し、「いちばん美しい人へ」と書かれた黄金のリンゴを投げ込みます。すると、美貌に自信のあるヘラ、アテナ、アフロディテという3人の女神が「これは私のものだ」とそのリンゴを奪い合いました。招待しなくても結局は面倒なことになるのですから、さすがは不和の女神です。
そして、このつまらない争いがきっかけとなって、戦争が始まりました。10年にもおよんだトロイア戦争です。事前に適当な理由をつけて招待しないことを伝えておけば、エリスも乱入まではしなかったでしょう。
その些細なコミュニケーションをしなかったことで大戦争になったのですから、やはり手抜きはいけません。

