英語力というと、すぐに「ネイティブレベル」という目標を思い浮かべるのは、ある意味では自然なことである。ペラペラと英語を話してビジネスや人生に活かすことができたら、かっこいいし、それを目指すことはモチベーションにもつながるだろう。

しかし、そのような英語力の捉え方は、残念ながらアプローチが根本的に間違っている。現代を生きるうえでネイティブを目指さなくてもいいし、そもそも英語を目標にしなくてもいい。

実際、英語力を鍛えるためにも、英語を活かしてビジネスや人生を充実させるうえでも、「ネイティブレベルの英語力を目指すこと」は、大いなる勘違いでしかないのだ。 第一に、今の世界では、お互いに英語を母語としてはいない人同士が共通の言語として英語を用いるケースが圧倒的に増えてきていて、今後も重要になるという事実がある。ビジネスでも人生でも、ネイティブ崇拝は百害あって一利なしなのだ。

英語を母語とする人が多い国でも、英語を母語にしていない人たちが一番輝いていることがしばしばある。

例えば、今の人類の文明を推進している人工知能のスタートアップ経営者、研究者が英語で話しているところを、ネットで検索してみよう。トップ層で支配的なのは、いわゆる「ネイティブ」の英語でなく、むしろインドや中国など、さまざまな言葉を母語とする方が喋る、少しアクセントに特徴のある英語だということがわかるはずだ。

言葉は単なる道具にすぎない。人生の目的にどうしたら最短で到達できるかを考えると、結果的に効率よく英語を身につけられるはずだ。

もはや、世界のビジネス、文化において、ネイティブの英語は、限られた文脈の中でしか最善とは言えない。むしろ、それぞれの場面で実質的に活躍している人たちの話す英語こそがかっこいいし、意義深い。もちろん、そこに日本人らしい英語が加わってもいい。

言語習得の根本にさかのぼれば、そもそも、人間の脳にとって言葉を学ぶということにはどのような意味があるのかという問題がある。

子どもが言葉を学習するプロセスでは、必ずしも言語自体を目的としているわけではない。親と意思疎通をしたり、お友だちと遊んだり、あるいは好きな絵本を理解しようとする中で、徐々に言葉を身につけていくのである。

言葉は、世界と関わるプロセスの中で、自然に習得していくものであって、言葉自体を目的とすることはむしろ例外だ。逆に言えば、生きる目標がいろいろあれば、それだけ自然に言葉を習得することができるのである。

英語にしても、やはり、学校やビジネスの現場で、英語を使ってやりとりする中で身につけるのが一番自然だし、英語力自体も強靭なものになる。

(写真=iStock)

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