単なる「祝祭の終わり」ではない
④「上昇(ELEVATION)」と「循環(WATER CYCLE)」
ダンテ神曲部分の演出について、オリンピック閉会式公式見解では、「上昇(ELEVATION)」と「循環(WATER CYCLE)」を中心語彙に据えていたとしている。
公式が定義する「上昇」とは、勝敗の結果以上に「最後の一瞬まで自分を超える」という垂直方向の努力を指しており、これはまさに煉獄の山を登り、星を目指すダンテの歩みそのものである。また、氷河から海へと至る「循環」と、その脆さへの言及は、浄化を経て宇宙的調和へと還る『神曲』の円環構造と見事に響き合う。
演出側は、ダンテの引用を単なる文学的装飾として消費したのではない。公式が掲げた運動語彙に対し、『神曲』という人類普遍のナラティブを「継ぎ木」することで、スポーツの祭典を文明の再生を懸けた叙事詩へと昇華させたのである。
我々がいま必要としているのは、この「上昇」への意志と、壊れゆく世界を繋ぎ止める「循環」の智慧ではないだろうか。
結び:選択の時間は、すでに始まっている
ヴェローナ・アリーナに灯された光は、祝祭の終わりではない。それは未来への宿題の始まりである。地獄を避けるのか、地獄を通過するのか。煉獄を拒否するのか、煉獄を登るのか。その選択が、文明の軌道を決定する。
星々は消えていない。消えかけているのは、私たちの成熟である。
地獄は外部にあるのではない。上昇を拒む構造が、地獄を固定化する。
文明の寿命を決めるのは、力の大きさではない。競争の激しさでもない。
上昇を選ぶ意志なのである。

