秀吉は“カリスマ経営者”

信長の配下として限られた領地で回しているうちはこれで成功していた。なぜなら秀吉は、典型的なカリスマタイプの経営者だからだ。

ビジョンはある。決断は早い。行動力もある。そうなると、心酔して付いてくるヤツも増える。噂が伝説となって馳せ参じる者も増えてくる……。

しかし、カリスマタイプは例外なくめちゃくちゃ気分で動く。例えば『武功夜話』に登場する尾藤知宣である。『武功夜話』そのものが史料価値が怪しいのだが、知宣は信長が美濃を攻略した際に、秀吉が築いた墨俣一夜城時代から仕えていた古参の家臣とされる。ところが、

九州征伐における失態が原因で追放。後、小田原征伐後に坊主にして詫びに現れたが、手討ちにされたとも伝わる。

これに限らず、秀吉は賞罰のバランスが悪い。例えば蜂須賀家政である。父・小六の代からの腹心で、朝鮮出兵では加藤清正らを救援する武功を挙げた。ところが、軍目付の報告を鵜呑みにした秀吉は「戦わなかった」と激怒。領地没収の処分を下した。実際には戦っていたのに、である。

かと思えば、宮下英樹の漫画『センゴク』で知名度が増した仙石秀久は、同じ九州征伐の戸次川の戦い(1587年)で島津勢に敗れる大失態を犯して改易。しかし、小田原征伐に馳せ参じたことで、小諸5万石の大名として復帰を許している。

“秀吉の気分次第”で処分が真逆に…

その小田原征伐で、伊達政宗は2カ月も遅参した。本来なら改易もありうる。ところが、千利休に茶を習いたいと申し出て秀吉を感嘆させると、会津は没収されたものの、本領72万石は安堵された(白装束で現れたという通説は史料的裏付けなし)。

明確な基準などない。同じ失態でも、謝り方やパフォーマンス次第で処分が真逆になる。すべては秀吉の気分次第というわけだ。こうした気分屋なカリスマタイプの経営者は、中小企業でナンバー2がいる場合には、とてつもなくうまく回る。

秀長は、まさにそのナンバー2だった。しかも、兄弟だからより話は早い。なので、家臣団がごっちゃになっていてもどうにかなると思ったのだ。

秀吉が気分で暴走しそうになったら、秀長が「兄貴、それはちょっと待て」と止める。秀長の判断に迷いがあれば、秀吉に「どうする?」と聞けばいい。家臣たちも、「秀吉様の意向」と「秀長様の指示」が食い違うことなんて想定していない。だから、「指揮系統が二重? 人事権が曖昧? そんなの関係ないよ」という感覚だったのだろう。