「家に呼ぶ」は、実は難易度が高い

理想は家に呼ぶことだ。

だが現実には、家というものは生活感が出る。

しかも日本の住宅事情はシビアで、数億円するタワーマンションでも「トイレが一つ」という致命的なケースが珍しくない。ゲストを招いているのにトイレに生活感が漂う――もてなしとしては、もはや破綻している。

だから結局、こうなる。

家だけど家じゃない。生活空間ではないけれど、プライベート感はある。要するに、“グルメおじさんの隠れ家”のようなノリで空間を作る方が、よほどスマートなのだ。

特に海外VIPを迎えるときには、その価値がわかりやすい。

ある知人は、自宅があるわけでもないのに、わざわざ京都に70平米のマンションを購入し、基地を作った。リノベーションだけでも4000万円あまりかかったという。

6人が着席してゆったりできる空間――頑張れば25人ほど呼べる場所を作った。住むためではない。もてなすためだ。(もっとも、港区女子は銀座の予約困難寿司に連れて行った方が1億倍喜ぶのだが。)

誰にも邪魔されず、誰の目も気にしない。

この「断絶された空間」こそが、現代において最も高価な価値といえる。

こうした光景を見るたびに確信する。予約困難店に行くこと自体が贅沢なのではない。自分の空間で、自分の美学で、人をもてなすことこそが、いちばんの贅沢なのだ。

筆者提供
おもてなしのために用意されたシークレットサロン

「もてなしの本質」という新しい贅沢

ここには、私たちが学ぶべきヒントがある。

25万円を払っても手に入らない最高のカニが、富山の漁師から3万円で届く。ブランドではなく、「これが一番いい」という漁師の太鼓判こそが、本当の価値を決める。

契約農家のオーガニック食材をふんだんに使ったスペシャルオーダーのケータリング。「食べた後に体が軽くなる」――そんな体験は、ミシュランの星の数では測れない。

予約困難店に1カ月前の電話回線に殺到する何百という想い。繋がった瞬間の「申し訳ございません、本日分はすべて埋まってしまいまして」という静かな声。京都で待つことを学ぶのも一興だが、待たなくていい方法がある。

自分の空間を持つこと。自分のネットワークで料理を手配したり、料理人を呼んだりすること。すべて自分の美学で、自分のペースで。

そして何より、その場に招いた人間だけが「いやあの蟹はうまかった」と何年も語り継ぐ。食材以上に、体験を共有した記憶が残る。

断絶された空間。誰の目も気にしない時間。気心の知れた仲間だけの夜。これこそが、現代において最も高価な価値なのだ。

予約困難店に行くことが贅沢なのではない。「席を取る側」から「席を作る側」に回ること。自分の場所で、好きな時間に、自分が本当にうまいと思うものを、本当に招きたい人だけに振る舞うこと。

それが、なによりの贅沢なのである。

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