京都は本気で予約が取れない

食体験を共有したいなら、お店でいいじゃないか、と思われるかもしれない。

しかしここにはさまざまな制約がある。

まず、予約が取れない。

京都は特に深刻だ。どれだけ大将と親しくても、である。

京都の路地裏に佇む、わずか八席の割烹。暖簾には店の名すらない。知る人ぞ知る、という言葉すら生温い。知り得る者のみが知る。そんな店だ。

京都のレストランの入り口
写真=iStock.com/Tadahisa Sakashita
※写真はイメージです

予約は電話のみ。何度か通っているが、優遇はない。ネット予約という現代の便利さは、この店には届かない。11時ちょうど。1カ月先の2時間を求めて、何百という想いが殺到する。

プルルル、プルルル――

繋がらない。

指は自動的にリダイヤルを押し続ける。額に汗が滲む。心臓が、店の包丁のリズムのように刻む。

30分間、話し中の音だけが耳を支配する。

「はい、○○でございます」

静かな、しかし凛とした声。私は一瞬、言葉を失った。繋がった――。この瞬間を、どれほど待ち焦がれたことか。

「あ、あの、予約を……」

「申し訳ございません。本日分は、すべて埋まってしまいまして」

受話器の向こうで、祇園の鐘が遠く響いた気がした。

京都という街は、待つことを教えてくれる。

石庭の苔が何百年もかけて育つように。鴨川の水が絶え間なく流れ続けるように。この街の名店は、焦る心を静かに諫める。

「また来月、お電話くださいませ」

その一言に、私は深く頭を下げる。電話の向こうの、見えない相手に。

そしてまた、カレンダーに小さく印をつける。来月の、あの日に。

……京都の予約困難店とは、つまり、待つことそのものを味わう店なのかもしれない。

そんな状況なので、まず希望の日程に、希望の店をおさえるというのは至難の業だ。

奇跡的に予約がとれたとしても、予約時間、規律通りに一斉スタートの店も増え、自分のペースで楽しみにくくなっている。

さらに言えば、そんな店で、器や演出、細部の作り込みまで「自分好みで突き通す」など到底無理な話だ。もちろん、冒頭で紹介した、漁師にもらったカニを持ち込むなんて“わがまま”は通るわけもない。

自分でもてなすとなれば、食中毒リスク、衛生管理、責任問題――気をつけることは山ほどある。労力だってかかる。万人に勧められる世界ではない。

しかし逆に言えば、シェフのネットワークがあり、食材のルートがあり、ちゃんと運営できる人間であれば、サロンを一つ持つのは極めて合理的な選択なのだ。

「断絶された空間」という最高の価値

「おもてなしサロン」が流行する背景、もうひとつの理由は「プライバシー」だ。

2020年代に入り、富裕層の情報漏洩への警戒心は格段に高まった。レストランという不特定多数の視線にさらされる場所より、完全プライベート空間が選ばれるようになった。

もちろん、信頼できるプライベートシェフを雇うケースも増えている。

だが、最も親しい友人との会では、あえて「誰も介在させない」選択をする人も多い。

シェフもソムリエもいない。気心の知れた仲間だけで、好きなワインを開け、えりすぐりの食材を囲む。記事「前編:フォアグラでもトリュフでもない…富裕層のホムパで500万円ワインの隣に並ぶスーパーで150円の"おつまみ"」でも触れたが、時には袋から出しただけのチーズとナッツをつまむだけなんてこともある。