可能な限り「作業」はせず、「仕事」に時間を使う
一方で、ビジネスの仕組み化を図ったり、商品やサービスを磨き上げるために投資する時間は仕事になる。
サラリーマンであっても経営者であっても、作業をゼロにすることはできないけれども、意識して「仕事」の割合を高めることはできる。
私自身、どうしても避けられない事務的な用件や一時的なタスクは「作業」として対応するけれども、それ以外は一切自分でやらないと決めている。
そしてそれを可能にしたのは、可能な限り「作業」はせず、「仕事」に時間を使うという意思決定の基準を定めたところからだった。
この徹底は単なる効率化の話ではなく、自分の人生をどのようにデザインし、形にしていくかという哲学の問題でもある。
作業に時間を奪われれば、いくら頑張っても毎日ゼロからやり直し。一方、仕事に時間を投じれば、それは雪だるまのように積み上がり、どんどん楽に、楽しくなっていく。
ここまでに二つの例を挙げたが、私は仕事という、人生を支えるための大きなサブシステムにおいて、数多くの重要な意思決定の基準を明確な言葉として持つことで成果につなげてきた。
結果的に独立して数年目から、20年以上、億単位の営業利益を生み出し続ける会社を経営できるようになった。
「言葉によって自分を躾ける」
以上はあくまで仕事についてのことであるが、私はそれぞれのサブシステムにおいて、意思決定の基準の一つひとつを明確な言語にし、自分自身を「躾けて」きた。
「躾ける」という言葉は少し強く聞こえるかもしれないが、「言葉によって自分を躾ける」という表現ほど、しっくりくる言葉が存在しない。
その理由は、日常における意思決定のほとんどが無意識レベルで行われているからだ。
想像してほしいのだけれども、スキマ時間が生まれたときにあなたは何をするだろう?
本を読むのか、ゲームをするのか。
あるいは会食を終えたら、すぐさまお礼メッセージを送るのか否か。
朝起きて一番最初に何をするのか……。
私たちは毎日、毎分毎秒、何かしらの決断に迫られている。
大げさではなく、誰かの言葉に対して反応する際のトーンまでもが、習慣化された無意識のパターンに支配されている。
それを書き換えようとするならば、書き換えるための「言葉」を持つ必要があり、さらにはそれを何度も反芻することによって、ようやく行動に反映させられる。
それこそ、このプロセスは自分に向けての「躾け」そのものであるといえる。

