高島屋社長 
鈴木弘治
(すずき・こうじ)
1945年、神奈川県生まれ。68年慶應義塾大学経済学部卒業、高島屋入社。95年取締役経営企画室長、97年常務、99年専務広域事業本部長、2001年副社長百貨店事業本部長、03年より現職。

1993年5月、横浜市の港南台店の店長となる異動が、突然、取り消された。新入社員時代の家具売り場、組合の専従役員を重ねる合間のスポーツ用品売り場と、東京・日本橋店で販売現場を経験してはいた。でも、今度は小規模店とはいえ、最前線の総司令官だ。48歳になる直前。新たな闘志を燃やし、すべての手続きも済ませていた。

新たな行き先は、英国の金融制度改革にちなんで「ビッグバン」と命名された経営改革の委員会。副委員長として、バブル経済がはじけて日本経済が低迷期に突入したなか、コスト削減の推進役を命じられる。

無駄をなくす余地は、濡れた雑巾をしぼるように、いろいろとある。矛盾を見直すべき点も、たくさんあった。商品の仕入れで言えば、本体の商品事業本部と子会社の高島屋商事(現・グッドライフ)には、重複した業務が多い。それを整理し、高島屋商事に統合するだけで、年間に数十億円単位でコストが減った。

江戸時代の末期に京都で開業し、関西を基盤として発展してから東京へ進出した経緯から、東西双方に似た業務の子会社があった。それらの統合へ、次々に着手する。だが、東西では価値観や仕事への意識が違っていたし、子会社の財務内容にも差があって、抵抗は強い。経営環境の大きな変化を指摘し、効率化の必要性を丹念に説得する日々が続く。

組合でも経営企画室でも、まずは相手の意見をよく聞くところから始めた。職位に差がある場合、いくら「上から目線」の物言いに気をつけても、同じ数だけ言葉を発すれば、下の人間はどうしても「言い渡された」と受け止める。「違う」と思うことがあっても、口にはしにくい。一緒に答えを出して、遂行するよう指示するまでは、思いが重なるように努めた。どんなに立派な案をつくっても、それを担う人々の支持がなければ、前へは進まない。