「不告知教唆」という立派な犯罪
お客が本当はある持病を申告せずに契約申し込みをすることを「告知義務違反」と呼ぶのに対し、お客が告知事項を告知しようとしているのに、営業マンが告知しないように勧める行為を「不告知教唆」と呼ぶ。いずれも露見(※5)すれば、保険金が支払われなかったり、場合によって詐欺罪に問われる可能性さえある。
春日さんのケースでは、「お薬手帳」に記載された薬を知らなかったと主張すれば、厳密にはそのどちらにも当てはまらないかもしれない。しかし、申告すべき持病をお薬手帳で認識しているにもかかわらず、見て見ぬふりをしている時点で道義的にアウト(※6)なのは間違いない。
契約手続きが終わり、いつものようにバイクで休憩スポットとなっている公民館に向かった。さきほどのことがしこりになり、私は吉井代理に何も話しかけずにいた。電子タバコをふかしながら、吉井代理が言う。
「半沢さん、お疲れさまでした。バイアグラって知ってますよね。あれ、もともとは血流をよくする、心臓の薬なんですよ。それが、今ではアソコの血流をよくする薬になっちゃってるんですよね。薬なんてそんなもんなんですよね」
吉井代理は何が言いたいのだろう。心臓の薬もいろいろだから、春日さんの件も大丈夫ってことなのか?
吉井代理は、さっきのやりとりに私が疑念を抱いたことを感じ取り、少しでも言い逃れをしたかったのだ。これも彼の気遣い、やさしさなのだろうか……。
※5 露見
「告知義務違反」が露見するケースは2つ。1つは実際に保険金が支払われる事態になり、お客がかんぽ生命に保険金請求をしたとき。保険金請求については、契約後2年以内の保険金請求では告知項目について保険会社が調査を行なう。外部の委託調査員が通院していた病院などへ問い合わせて「告知義務」に問題がないかをチェックする。告知していないものが発覚すれば保険金は支給されない。もう1つは抜き打ちの内部調査が入った場合。ただ、この2つとも確率的には非常に低い。実際に私が在籍していたあいだ、Y郵便局金融渉外部が結んだ契約で「告知義務違反」が発覚したケースは1つもない。
※6 道義的にアウト
金融渉外部では、程度の差こそあれ、ほとんどの者が不告知教唆まがいのことをやっていたはずだ。というのも、ほかの保険会社にくらべ、郵便局の顧客は圧倒的に高齢者が多い。必然的に持病のあるお客が多く、なんとしてでも契約を取りたければ、見て見ぬふりをすればいいからだ。言ってみれば、「正直者がバカを見る」世界なのだ。
40歳を過ぎてタバコデビューしたワケ
金融渉外部の班分けは便宜上のものにすぎず営業マンは自由に動ける。給料はボテ(編集部注 郵便局で支払われる「募集手当」のこと)次第なので、それぞれが個人事業主のようなものだ。吉井代理から独立し、自分流のかんぽ営業を見いだそうと考えていた私はある人物に目を留めた。
Y郵便局金融渉外部主任の寺尾だ。寺尾はY郵便局金融渉外部では断トツ、東海支社管内でも5本の指に入る挙績をたたき出していたエース社員だった。私と同年代の40代半ば、長身でスーツの着こなしもスマートだが、表情に抑揚がなく、部内のほかのメンバーとの交流もほとんどないローンウルフだ。
Y郵便局では、2階の金融渉外部の隣に休憩スペースが設けられていた。ジュースの自販機が2台とソファー、机があり、社員がタバコ片手に息抜きする場である。金融渉外部のメンバーの半数以上は喫煙者で、始業前や終業後また業務途中にここへ足を運んだ。事実上の喫煙部屋かつ情報交換の場でもあった。ノンスモーカーの私にすれば、タバコの煙がもうもうとしているところにわざわざ行くのも馬鹿らしい。最初はそう考えていた。
ところが、自販機でジュースを買ったタイミングで喫煙部屋の吉井代理と雑談していると「ちょっと吸ってみますか?」と電子タバコを勧められた。興味本位で一服してみると紙タバコのような嫌な臭いがない。ここはたくさんの社員が垣根を越えて集まるコミュニケーション地点で、時に大っぴらにしにくいテーマも交わされる。ここで情報収集してみよう。そんな好奇心と下心から私は「プルームテック」を吸い始めた(※7)。
※7 吸い始めた
それまで私は1本のタバコも吸ったことはなかった。ノンスモーカーの私が突然吸い始めたものだから、タッコーから「40すぎてタバコやめましたは聞くけど、40すぎてタバコ始めましたは珍しいがね」と大笑いされた。

