ここまで君を連れてきたものが、この先へ連れて行ってくれるわけではない
かつて山本知事は、自民党の重鎮たちに対しても歯向かう、血気盛んな参議院議員だった。毀誉褒貶はあったものの、ブログという新しい武器を手に取った新しい世代の議員と目されていた。
それから年月が流れ、かつての若手議員は群馬県知事になった。大きな権力を手にした彼は、権力に憑りつかれ変わってしまったのだろうか。権力は、かつての青年議員さえも虜にしてしまうのだろうか。
いや、おそらく事態は、その反対である。20年以上続くブログが、最初から今の今まで変わらず情熱的であるように、山本知事は変わっていない。そして、その変わらなかったことが問題になっている。人間自身は変わらなくても、立場が大きく変わったからだ。
猛烈な応援と批判に対し反感があることは、山本知事自身も認識していただろう。しかし、批判がありつつも突き進むという政治スタイルは、従前からの山本知事の姿勢であった。そしてそれが一定の成功を見たからこそ県知事になれたのだろうが、その成功体験は足枷にもなる。
かつてブログで永田町の不条理を批判していた時代、山本知事の言葉は「権力に立ち向かう武器」だった。しかし今、彼は知事という「権力そのもの」である。以前と同じような調子で批判をすれば、それは危うさと魅力をはらんだ直言ではなく、人々の目には権力者の横暴に映りうる。同じ力強い言葉だとしても、その立場によって意味がまるで変ってしまう。
捨てる勇気こそが成功後の試練
山本知事がかつて武器にした、権力に抗う姿勢と攻撃的な発信力は、間違いなく彼を現在の地位まで押し上げた原動力だった。
しかし、ゴールドスミスが警告するように、その原動力に固執すると罠が待ち構えている。成功によって立場が変わった人間に必要なものは、かつて自分を支えてくれた最大の武器でさえも、時には手放す勇気なのだろう。
アンラーニングの痛みを引き受け、自身のスタイルを壊せるか。それとも、過去の成功法則を堅持するのと引き換えに、築き上げた成功そのものを崩してしまうのか――。
前橋市長選が突きつけた教訓は、特定の政治家やリーダーに限られたものではない。何かを成し遂げ、その結果として立場が変わってしまったすべての人間の喉元に、静かに突きつけられている。
(初公開日:2026年1月13日)

