「女性が総理大臣になるような時代が来れば、女帝の問題は再検討されるべきだ」。そう書き残した皇族がいた。80年前のことだ。コラムニストの矢部万紀子さんは「高市早苗首相が誕生した今、その予言は現実になった。なぜ『愛子天皇』を望む声は根強いのか。答えは80年前の文書の中にある」という――。
宮内庁楽部による春季雅楽演奏会に臨まれる愛子さま=2026年4月25日午後、皇居(代表撮影)
写真=共同通信社
宮内庁楽部による春季雅楽演奏会に臨まれる愛子さま=2026年4月25日午後、皇居(代表撮影)

直感的に抱く“愛子天皇を認めないおかしさ”

ずっと停滞していた「安定的皇位継承」についての協議が4月15日、国会で再開した。終了後、森英介衆院議長は「今国会中の皇室典範改正案の成立」を目指すと表明した。今国会の会期は、7月17日までだ。

迅速化はよい。問題はその方向性だ。皇族が16人しかおらず、高齢化も進んでいるのに仕事は減らない。この現状を何とかすべく、政府の有識者会議が示したのは「①女性宮家の創設」と、「②旧宮家の男系男子の養子縁組」という二案だ。が、自民党はそもそも衆院選の選挙公約で、②しか示していない。①についても、高市早苗&麻生太郎という党2トップが「女系天皇につながる」という警戒感を隠していない。

だから、①でも女性皇族の配偶者と子どもは「皇族」としない。それが2トップの考えだ。もちろん①も②も、党によって意見が分かれている。それを取りまとめるのが衆院議長だが、森さんが議長になったのは長く麻生派の事務総長をしていたから。となると、「②優先、①は配偶者、子ども抜き」という「男系男子専用道路」を目指していると容易に想像がつく。

前回も書いたことだが、国民が愛子天皇を期待する気持ちは、「人手が足りないから、結婚しても皇室に残ってね」ではない。天皇家に生まれ、品格が備わっていることがわかるのに、「男子でない」から天皇になれない。そのおかしさを直感的に感じているのだ。

そのことをせめて森議長には考えてほしい。だからここからは、かつて皇族が語った「女性天皇容認論」について書いていく。

(参考記事:いつまで皇族に「男子を産んで」と求め続けるのか…高市首相に無視されても「愛子天皇待望論」が衰えないワケ

三笠宮崇仁さま「純粋に解釈すれば女帝を認めねばならぬ」

まず紹介するのは、大正天皇の四男(昭和天皇の末弟)の故三笠宮崇仁さまだ。1915(大正4)年生まれで、2016年に100歳で亡くなられた崇仁さまは30歳の時、女性天皇容認を明確に記している。

三笠宮崇仁親王
三笠宮崇仁親王(1958年)(写真=Arquivo Nacional/PD Brazil Government/Wikimedia Commons

「昭和二十一年十一月三日(日)新日本憲法は公布された」から始まる文書で、タイトルは「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」。同年11月3日付けで枢密院(明治憲法下の天皇の諮問機関)に提出したもの。日本国憲法と照らし合わせて、皇室典範をどう変えたらいいかについての考えをまとめている。

そもそも崇仁さまは、皇室典範改正に当たっては「現行皇室典範を御破算にして新憲法の精神に忠実に改正する」べきなのに、「現行皇室典範を基礎に、どうしても新憲法の精神に沿わないところだけを変更する」向きが強いと看破している。

その上で、「私が皇室典範改正法案中で取り上げたい研究問題の主なもの」として、イからチまで8点あげる。その「イ」が「女帝の問題」で、まさに「いの一番」に取り上げているのだ。

崇仁さまの考えは、そのまま引用する。

問題になるのは女帝を認めないことと【D】との関係であらう。純粋に【D】を解釈すればどうしても女帝を認めねばならぬ。