※本稿は、鈴木洋仁『社会人1年目の社会学』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
敬語が使えない=仕事のデキない人材?
【若手社員】敬語なんて、いらなくね? だいたい、英語には敬語ないっしょ。グローバルには通用しない、ガラパゴス日本の代表なんじゃね?
【鈴木洋仁】たしかに、英語には敬語はありません。でも、丁寧な表現や、敬った言い方はあるから、ほとんど同じだよね。とすると、やっぱり、日本でも必要なのかな?
ビジネスマナーといえば敬語、そんな時代がありました。いまもそうかもしれません。
また、敬語についての本は、毎年、いや、毎月のように出ていますから、多くの人にとって、敬語は鬼門なのでしょう。
敬語「が」使えない、それどころか、敬語「も」使えない=使えない人材、と思われるのは、癪ですよね? ここで、あらためて敬語の役割について考えてみましょう。
仲間だと確かめ合うため(だけ)のかたちが、敬語にほかなりません。もちろん敵ではないけれども、家族や友人、恋人ほど近くはない。同じ組織に属している仕事仲間である、その確認をわざわざするよりも、敬語を使えば済みます。
敬語が求められるのは「上司が偉いから」でも「年長者を敬うため」でもありません。
会話や交わり「そのもの」が目的
あなたが、上司や先輩をどう思っていようといまいと、敬語によって表面の敬意さえ見せておけば、何ら文句は言われません。逆に、あなたがどれだけ上長を尊敬していたとしても、タメ口で接していると、説得力はゼロです。
そこで役に立つのが、ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルが重視した「社交」という概念です。ジンメルは、「社交」は、何か特別な目的があるわけではなく、会話や、交わりそのものが目的なのだ、と説きました。
敬語こそ、この「社交」そのものと言えるでしょう。
ただ、注意しなければなりません。あくまでも、「社交」を、生活のリアリティと結んでいる糸=つながりを、完全に断ち切ってはいけないのではないでしょうか。
あなたも私も、上司もみんな人間だから、いくら割り切ろうとしても、生身の肉体と感情をもっている以上、さまざまな思いを押し殺せません。好き嫌いはもちろん、体調や機嫌の良し悪しは、コントロールできません。
裏を返せば、ひとりの人として、形式をきれいにしようとすればするほど、かえって、あなたらしさを隠せない。もし、あなたが敬語をうまく使いこなせるなら、実は、そこに秘められた魅力があるはずです。反対に、あなたが敬語を嫌ったり避けたりするままなら、それもまた、あなた自身をあらわさざるを得ません。

