品質を犠牲に価格を下げていた
「うちの名前がついたタオルで、こんなもん出荷していいのか」
ベテラン社員から厳しい声が上がった。1990年代後半以降、愛媛県今治市のタオル産業は深刻な価格競争の渦中にあった。卸や小売店からの値下げ圧力は日増しに強まり、メーカー側は品質を犠牲にしてでも価格を下げざるを得ない状況に追い込まれていた。
今治タオル工業組合の田中良史理事長(57)が振り返る当時の状況は、まさに“底なし沼”だった。田中産業で4代目社長を務める田中氏が入社した1994年はまだ好景気の余韻が残っていた。しかし、その後の凋落は凄まじかった。冒頭の発言はまさにそうした時期に飛び出した悲痛の叫びだった。
田中氏が家業に入るまでには、紆余曲折があった。高校生の時に継ぎたいと父親に伝えたところ、意外な言葉が返ってきた。
「お前はそんなことしか思いつかないのか。もっと世界に羽ばたくとか、大きな夢を持て」
父親は婿養子として田中産業に入った人物で、親族間のもめごとを避けたいという思いもあり、息子に家業を継がせることに消極的だった。一方、田中氏の弟の一人はミュージシャンの道を選び、もう一人の弟はイタリアで修行して都内でレストランを開業した。父親の「自分のやりたいことを見つけろ」という教育方針を、むしろ弟たちの方が体現していた。
「安売りからの決別」で得たもの
それでも田中氏は家業への思いを諦めなかった。大学4年時に何とか父から許可を得ると、大学卒業後には日清紡績に就職。そして3年後、故郷・今治へと戻ってきた。「自分の意思で継いだので、苦と感じたことはない」と田中氏は言う。
とはいえ、今治のタオル生産量は減少の一途を辿り、2024年は約6800トン。ピーク時の1991年には5万トンを超えていたことを考えれば、実に7分の1以下まで縮小したことになる。
数字だけを見れば絶望的に思えるだろう。しかしながら、過去と比べて商品単価は確実に上がっており、まだ踏ん張れる状況にあるという。その鍵となったのが、「今治タオル」のブランド化と、徹底した商品品質の向上によって成し遂げた、安売りからの決別だった。


