日本の学校には、薪を背負って本を読む二宮金次郎の銅像が多く建てられた。なぜ彼は子どもたちの「お手本」とされたのか。小学校教諭で銅像教育研究家の丸岡慎弥さんの著書『銅像が教えてくれる日本史』(扶桑社新書)より、一部を紹介する――。
儒教に基づき、道徳と経済の調和を説く
読者の皆さんは、二宮金次郎の銅像というと、まず小学校や中学校を思い浮かべるのではないでしょうか。勤勉や読書を連想させる二宮金次郎の銅像ですが、金次郎は経済についても、このような言葉を残しています。
道徳なき経済は罪悪(犯罪)であり、経済なき道徳は寝言である
実は、道徳と経済を調和させようとする思想は、二宮金次郎という人物の大きな特徴の一つです。そして金次郎は経済行為を通して道徳教育を行ったのです。この教育を「五常講」といいます。
五常とは、儒教の基本的な五つの徳目「仁・義・礼・智・信」のことを指します。仁とは慈愛の心、義は正義や公正を貫くこと、礼とは礼節を重んじ人を敬うこと、智とは道理や真理を正しく把握する知恵、最後の信とは他者を信頼する心のことです。
金次郎が行った五常講は、このような倫理道徳の上で金銭の貸し借りをしようとするものです。例えばお金を借りたとしましょう。その時の感謝の気持ちを忘れずに、きちんと返済したならば、それは五常を立派に実践したことになるのです。権利の行使や義務の履行には信頼が最も大切で、誠実になされるべきであるというのが金次郎の考えです。
もともと、経済という言葉が「経世済民」(経済は人々を救うために世の中にある)から来ているので、金次郎の思想とも重なります。「銅像といえばこの人」と言っても過言ではない二宮金次郎。彼がどのような人物だったのかを見ていきましょう。

