戦前の小学生は「金次郎の人生」を歌で学ぶ

こうした金次郎の生き様は、戦前の小学生に人生の手本と教えられていました。歌にもなっていますので、最後にご紹介します。


柴刈り縄なひ草鞋をつくり、
親の手をおととを世話し、
兄弟仲よく孝行つくす、
手本は二宮金次郎。

骨身を惜まず仕事をはげみ、
夜なべ済まして手習読書、
せはしい中にもたゆまず学ぶ、
手本は二宮金次郎。

家業大事についえをはぶき、
少しの物をも粗末にせずに、
遂には身を立て人をもすくふ、
手本は二宮金次郎。

この歌は、「尋常小学唱歌」に記載されていたものです。この歌詞を見ると、金次郎がどのような人生を歩んだのかがよくわかります。

金次郎の銅像は、まだまだ各地にあります。金次郎の銅像を通し、金次郎の生き方がもっと世に広まればと願っています。

二宮金次郎
(1787〜1856)
江戸時代中期から幕末にかけての農村復興運動の指導者。相模国の栢山かやま村(現・神奈川県小田原市)に生まれる。父・利右衛門と母・よしが他界した後は伯父に預けられ、農作業に励む。一方で氾濫による荒地に菜種を植えたり、夜なべ仕事をし、20歳の時に生家を再興。その実績から、小田原藩の服部家や同藩の分家宇津家が治める下野桜町領の財政の立て直しを任され、成功する。荒廃した村を復興する報徳仕法という独自の方法を確立していき、この仕法の名声が徐々に高くなっていく。それにつれて、金次郎のもとでこの哲学を学ぼうとする者が増えていった。
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