困窮した武家からヘッドハンティング
さて、金次郎も小さな努力を積み重ね、だんだんと収穫を増やしていきます。また荒れ地を仕事の合間をぬって開拓し、そこからも収穫を始めました。こうして自分の取れ高を増やし続け、ついに酒匂川の氾濫で流された荒地を開墾した耕地からも収穫が上がりだし、お金が貯まり始めます。
そして、質に入れていた田畑を少しずつ買い戻し、一所懸命努力して20歳の時に金次郎は二宮家に戻ることができたのです。
二宮家を立て直した金次郎ですが、その噂がある武家の耳に入りました。小田原藩の服部家です。服部家は財政がかなり厳しい状況にありました。そこで何とか財政に強い者を招き、服部家の再建を任せたいと望んでいました。その際に選ばれたのが金次郎です。金次郎は農民で服部家は武士です。武士が農民に財政の立て直しを依頼することは異例でした。
金次郎は何度か依頼を断りましたが、服部家の熱意におされ承諾することにします。そして、金次郎による財政の立て直しが始まります。金次郎は服部家に次のように言いました。
「5年で立て直してみせます。しかし、その間は私のすることに一切口出しをせずに黙って従ってください」
そう宣言した金次郎は、使用人に倹約を求めました。倹約は金次郎のどの改革でも貫いた大切なキーワードになります。
約束した5年間で「黒字化」まで達成
金次郎は様々な倹約の仕方を使用人に教えました。まず、食べるものや着るものなどは当然質素なものに変えました。また、料理に使う鍋の煤はよく洗い落とさないと火の通りが悪くなり薪がもったいないということ、野菜は葉まで食べられることなど細かなことも使用人に求めました。
こうした財政改革を5年間行い、言葉通り5年間で借金を返済しただけでなく、服部家に余分なお金までも残すことに成功したのです。
この服部家での成功を受けて金次郎の活躍の場は次第に広まりを見せていきました。ついには小田原藩主から同藩の桜町領の立て直しを任されることになりました。桜町領は大変荒廃した村であり、誰も近づこうとしませんでした。村から逃げ出す者も多く、村に残った農民たちは働こうともせずに、昼間から博打や酒におぼれ続けていたのでした。
この村の改革を命じられた金次郎は、どのようにして財政改革をしていったのでしょうか。
