ラムネをやめ副業のもやし一本に絞る決断

中田さんは大学卒業後、地元に戻り中田商店に入社。5年後、父が脳梗塞で倒れ、急遽28歳で社長に就任した。

しばらくはラムネの販売を続けていたが、仏教の「すべてのものに役立つこと」という教えから、大量の砂糖を使うラムネに疑問を抱くようになる。「こんなに砂糖たっぷりの飲み物を子どもに売って、金儲けするのは違うのではないか」と感じた。そして、副業だったもやし一本に絞ることを決意する。

しかし、1973年頃は漂白剤を使用して、見た目を白くしたもやしが当たり前の時代。「漂白剤を使った体によくないもやしを売りたくない」と考え、この頃には珍しかった無添加・無漂白のもやし製造に取りかかった。しかし、業界内の暗黙の了解を破る中田さんのこの決断は、同業者から批判を受けた。さらに、無漂白もやしは傷みやすく、なかなか販売先も見つからない。スーパーも取り扱ってくれなかった。