圧倒的ライバルを2つの「業界初」で打破

お弁当や生鮮食品を購入したら、試しにトレーをひっくり返してみてください。実は今、日本で使われている食品トレーの3枚に1枚は当社の製品です。トレーの裏側や蓋を見れば、「エフピコ」という刻印が入っていることが確認できるでしょう。

佐藤 守正
佐藤 守正(さとう・もりまさ)
エフピコ会長兼エフピコグループ代表。1959年生まれ。群馬県出身。慶應義塾大学工学部卒業後、三井物産入社。99年にエフピコに入社し、常務取締役経営戦略本部長や専務取締役、副社長を経て2009年に代表取締役社長就任。22年6月より現職。

エフピコは広島県福山市に本社を置くトレーメーカーです。大手コンビニエンスストアがお弁当の販売を始めるにあたり、プラスチック容器を採用したのは1984年。ここから食品トレー市場は大きく拡大していきますが、当時の福山パール紙工(現エフピコ)の売り上げは、業界トップ企業の半分程度しかありませんでした。

当時のトップ企業と違った点の一つが、販売地域です。食品容器市場は人口に正比例します。当社は広島県で、トップは首都圏の会社。最寄りのマーケットの大きさが売り上げにも影響していました。

ならば同じ地域で勝負をすればいいのかというと、そう単純な話ではありませんでした。もちろん商圏を広げることは大切ですが、創業者の小松安弘は「1位と同じことをやっていては追い抜けない」と考え、競合他社が行っていないことに挑戦しました。

その一つがカラートレーです。そのころの食品トレーは白一色。当社がカラートレーを販売したら、業界からは「余計なことをするな」の大合唱だったそうです。しかし、色柄のついたトレーは消費者の反応がよく、お客様から多くの注文をいただくようになりました。その結果、同業他社もカラートレーの販売に参入し、カラートレー市場はさらに拡大。食品トレー業界も大きく成長しました。

カラートレー
日本初の低発泡PSP素材の成形技術で、プラスチック使用量を60%削減し、軽量化。

もう一つのチャレンジは、トレーのリサイクルでした。90年、アメリカの消費者団体により、あるハンバーガーチェーンの不買運動が起きました。当時は、「クラムシェル」と呼ばれる発泡スチロール製の容器が使われており、ごみ問題が起きたそうです。小松はその様子を見て、日本でもトレーの不買運動が起きるのではないかと危機感を抱き、トレーのリサイクルを始めたのです。最初は福山と大阪の6店舗のスーパーに回収ボックスを設置していただきました。スーパーの協力により、1人、2人と使用済みトレーを回収ボックスに入れる消費者が増え、その結果、回収ボックスを置いた店のほうがお客様の来店数が増えました。それを知った周辺の店舗も置いてくれるようになり、徐々に輪が広がりました。

これも最初は業界内で「衛生上の問題がある」と批判の声もあがりました。最初は回収した使用済みトレーは、トレーではなく植木鉢やペンケースにしていました。しかし試行錯誤の末、2年後には回収した使用済みトレーを原料とするエコトレーが開発されました。

風向きが変わったのは、2001年、大手量販店にエコトレーを全面的に採用していただいてからでしょうか。そこから他のスーパーでも一気に採用が広がりました。

エフピコがシェアトップに躍り出たのも、01年でした。同業他社は海外に進出して現地に工場を構え、国内投資をやめていました。その間、当社は業界初に挑戦するための投資を続けました。それが現在も投資をし続ける風土の礎になったのかもしれません。

私がエフピコに入社したのは1999年です。その2年後に業界トップとなったわけですが、会社としての勢いを感じる一方で、課題も目につきました。トップラインは伸びていたものの、効率が悪くて利益が伸び悩んでいたのです。

(構成=村上 敬 撮影=関 竜太)

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