ユニクロ「世界同一賃金化」は合理的

ドラッカーは、1969年に著した『断絶の時代』の中で、「知識労働者」が主役になる時代を予見した。

ピーター・ドラッカーは21世紀は「ナレッジワーカー」(知識労働者)の時代だと語った。労働力を提供するだけの単純労働者の価値は低下し、高度に専門化された「知識」によって企業や社会に貢献する労働者のみが成功する。

ドラッカーはナレッジワーカーの例としてコンサルタントや高度金融工学を駆使するディーラーなどを挙げたが、ナレッジワーカーはそうした一部のプロフェッショナルだけに限ったことではない。一般企業においても、ナレッジワーカーの重要性はますます高まっている。いや、ナレッジワーカーでなければ生き残れない時代になっているのだ。

ナレッジワーカーの概念は、従来のホワイトカラーVSブルーカラーという分類を無意味化させる。大卒・大学院卒であっても、知的生産物を生み出さない社員の価値は低い。一方、高卒の現場ワーカーであっても、知恵やアイデアによって知的生産物を生み出すことができれば価値あるナレッジワーカーである。

「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは、全世界の正社員と役員の賃金体系を統一する方針をぶち上げた。柳井正会長兼社長は朝日新聞のインタビューで「年収1億円か年収100万円に分かれて、中間層が減っていく」と語り、大きな話題となった。

社員の貢献をどう測るのか、年収差はどの程度が妥当なのかなど実際の運用はそう簡単ではないが、単なる「業務遂行型」人材の価値は目減りし、「知識創造型」ナレッジワーカーの価値が高まるというのは、きわめて合理的な流れだ。

企業の論理からすれば、ナレッジワーカーのみを正社員にしたいというのが本音だ。代替可能な「業務遂行型」人材を自社で抱える必要はないし、業務変動に応じてバッファーとして使っていくのが最も経済合理的である。

つまり、ナレッジワーカーに変身できなければ、企業内で生き残っていくのはますます難しくなっていく。スマホや漫画ばかりに熱中して、貴重な時間を奪われ、己を磨く努力を怠っていたのでは、ナレッジワーカーになるどころか、「年収100万円」人材に成り下がっていくばかりである。