この資料は説得力があった。1ページ目には「大谷選手の夢の確認」との項目で「(1)MLB(メジャーリーグベースボール)トップの実力をつけたい、(2)トップで長く活躍したい、(3)パイオニアになりたい」と記されている。そのための参考資料として、「日本野球と韓国野球、メジャー挑戦の実態」「日本スポーツにおける競技別海外進出傾向」「世界で戦うための日本人選手の手法」との項目でデータが並ぶ。
「イチローは、18歳で渡米してもイチローになれただろうか?」といった刺激的な言葉も書かれていた。花巻市内のホテルでの大谷選手側との3度目の交渉(11月10日)で、両親にこの「道しるべ」をプロジェクターで大型スクリーンに映した。
「これがすごかった」と山田GMは言う。「メジャーで韓国高校出身の選手が最近10年全くダメという資料もあった。親の立場に立ったら、これはなかなかいい資料だと思いました」。
キーワードが「夢」である。日本ハムはメジャーの夢を決して、つぶさない。急がば回れ、人生に遠回りはない。パイオニアになりたいというのなら、投打の「二刀流」でどうだ。交渉後、両親には冊子状のプレゼン資料を渡した。あとで資料を見ながら、家族で話し合ってもらうためだ。
交渉事で大事なことは何だろう。そう問えば、山田GMは少し考え、「誠実さ」と答えた。「本人にも両親にも、だましながらプロ野球に入れようとしていると思われたらダメです。うそはつかない。誠実に、ただ誠実に」。
その後、大谷本人を交えた交渉が何度か続く。5回目の交渉からは「切り札」の栗山監督も同席した。時間の経過とともに、「日本ハムにいってほしい」というメディアやファンが増えてきた。12月9日。山田GMが交渉場面を笑顔で述懐する。
「これが最後の交渉という日です。“どうなんだ”と聞いたら、大谷は黙っている。“どっちにしても記者会見はするんだから、ここで会見の練習をしてみたらどうだ”と言ったんです。そうしたら、立ち上がって、“わたくし、日本ハムに入団を決めました”って。もう、うれしかったですねえ。本当に大谷は素直な人間です。いやあ、1カ月半、長かったですねえ」