コミュニケーション能力と「媚び」と「女子力」
そこで「媚び」は、円滑なコミュニケーションツールとして、より巧妙に、かつ、さりげなく売られているのではないでしょうか。
最近、雑誌などで「女子力」という言葉が盛んに使われています。あの人は「女子力」が高い、低いとか。本来「女子力」は女性ならではの感性を生かして、仕事に力を発揮するという意味だったはずなのですが、今では、「いかにオトコの気を引くか」「どうやったら分不相応な恩恵に与ることができるか」が「女子力」の目指すところになっている気がします。
そういう意味では、「上手に媚びを売ることができる」は明らかに「女子力」のひとつです。
ひところ多かった、いかにも仕事ができるぞというキャリアウーマン然とした人は、今では同性からも「楽しそうじゃないな」「あんなに無理しなくてもいいのに」と見られていますよね。
今、女性が憧れているのは、仕事もできて、女としてもかわいくて素敵な人。となると、てきぱき仕事をしながら、家でも母や妻としてもきちんとしなきゃいけない。こりゃ女性は大変です。
そういう意味で、高度なテクニックとして「媚び」を上手に使える女性が一目置かれるといったことはありそうです。
そもそも「媚び」とか「ゴマすり」という言葉が否定的に使われていた時代は、日本人全体がコミュニケーション下手だったと思うんです。
「黙っていても真意は伝わる」という家族主義的な職場の人間関係のなかでは、人を褒めるほうが楽しそうだなとは思っても、なかなかみんな恥ずかしくて口に出せない。「課長、今日のネクタイ素敵ですね」とさらりと言えたり、そういうことに長けた人はやっかみを買い、「あの女、課長に媚びている!」と糾弾されていた面はあったと思います。
コミュニケーション能力が求められる今から見れば、時代を先取りしていたんですけどね。
もちろん今でも「露骨な媚び」は同性から反感を買いますから、「媚び」は巧妙かつ複雑化して、もはやオトコは「媚び」を売られていることすら気づかないかもしれません。
というわけで、ブラウスの胸元を大きく開け、甘えた声を出すといった昭和な感じで媚びを売る女性は、むしろ天然で、素朴な人柄といえるでしょう。
石原壮一郎
1963年、三重県生まれ。近著に『職場の理不尽-めげないヒント45』(岸良裕司と共著 新潮新書)。2012年「伊勢うどん友の会」を結成し、応援活動中。