江戸最初の女帝は「サラブレッド」だった

ところで近年は、男性皇族が少なくなり、女性天皇が話題にのぼることが多い。

江戸時代の天皇は、第百七代後陽成天皇から第百二十二代明治天皇までいるが、うち二人が女帝である。明正天皇と後桜町天皇だ。

しかも最初の女帝・明正天皇は、徳川家の血筋を引いている。明正天皇の生母は後水尾天皇の皇后和子だが、彼女は二代将軍・徳川秀忠と江(崇源院)の娘。つまり明正天皇の曽祖父は徳川家康なのだ。

明正天皇〔写真=『御歴代百廿一天皇御尊影』より/PD-Art(PD-old-70)/Wikimedia Commons

さらに祖母の江は、織田信長の妹であるお市の娘なので、織田家の血筋も引いている。

まさに血筋的にはサラブレッドといえる。でもなぜこの時期に女帝が約860年ぶりに復活したのだろうか。

幕府に相談せず、いきなり譲位した背景

それは、父の後水尾天皇が強引に明正(興子内親王)に位を譲ったからである。後水尾天皇ははじめ、皇后和子との間に生まれた高仁親王に譲位するつもりだったが、残念ながら高仁は3歳で歿してしまった。

とはいえ、寛永6年(1629)の明正天皇への譲位はあまりに唐突だった。幕府や皇后に何の相談もなく、いきなり譲位したのだ。

これは、後水尾天皇と幕府との確執が原因だったといわれる。幕府は禁中並公家諸法度を出して朝廷や天皇を強く統制。さらに法令に反して後水尾天皇が高僧に紫衣着用の勅許を出し続けたところ、幕府はこれらの勅許を無効とし、さらに、反発した大徳寺の沢庵らを配流したのである(紫衣事件)。

つまり後水尾天皇の明正天皇への譲位は、こうした幕府に対する意趣返しだったと思われる。

また、これは、皇室から徳川家の血筋を排除するための、後水尾天皇の遠謀だったという説もある。古代の女性天皇は、在位中は全員が独身だった。夫を亡くしてから即位した人も複数いるが、即位後は独身を通した。つまり慣例に従えば、明正天皇は結婚もできず子孫をつくれない。