院政を抑制したい幕府vs権力を維持したい天皇

30代になると霊元天皇は、朝廷の帝という束縛された立場から脱し、上皇として自由な立場で朝廷を動かそうと、たびたび幕府に対して譲位の意向を告げるようになった。

けれど幕府はなかなかこれを許そうとせず、ようやく貞享4年(1687)になって、皇太子である朝仁親王(東山天皇)への譲位が認められた。ただ、このとき幕府は霊元天皇に警戒の念を抱き、「大きなこと以外、朝廷の政治には口出ししないように」と求めた。はなから霊元の院政を抑制しようというわけだ。

幕府としては、あくまで天皇と政務代行者である関白のラインを基本にすえ、武家伝奏(幕府と朝廷の連絡調整役の公家)を介して朝廷を管理・統制しようと考えていた。いっぽう霊元天皇は、かつての院政時代のように、自分が上皇として朝廷の頂点に立ち、権力を掌握したいと思っていた。