20行だった記事が1面を飾るスクープに

その言葉通り、青木は首位に立った。

「だから、僕は『青木、ニュークラブ使用でトップ』みたいな20行くらいの記事を書いたんです。そしたらデスクに『お前、これ本当か? スクープだぞ』と言われて、リライトされて1面トップになったんです。

沼澤典史『野球に翻弄された男 広野功・伝』(扶桑社)

試し打ちもしていないクラブを使うなんて普通はないですよ。クラブはそれぞれ感触が違いますから、プロといえども微妙な誤差が生まれるはずです。これも『お前の取材能力はすごい』ということで部長賞をもらいましたね」

こうしてスポーツ記者として着実に力をつけた広野は、いよいよ中日スポーツの花形であるドラゴンズ担当記者となった。

当時の中日スポーツのドラ番は、チームへの取材という通常の業務だけが仕事ではない。ドラゴンズのフロント、監督、選手の間を飛び回るメッセンジャーのような役割も果たさなければならなかった。こうした表に裏にチームを支えるドラ番を広野は1年間務めることになるのだ。

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