極論を「トンデモ論」と簡単に片づけてはいけない

不可解なことに、言論の自由を認めるべきだという主張に同意する一方で、この自由を「極端なケースにも適用する」のはやめたほうがいいと考える人は多い。極端なケースに適用できないようなものなら、そもそもどんな場合にも適用できないのに、そのことをわかっていないのだ。

ジョン・スチュアート・ミル『すらすら読める新訳 自由論』(サンマーク出版)

そういう人は、疑う余地のある点に関しては言論の自由を認めるが、確実だとわかっている点、つまり特定の原理や教義には疑問を抱いてはならないと考える。ここでいう「確実」とは、「その人たちが確実だと信じていること」にすぎないのだが、彼らは別に、自分は間違いを犯さないと思っているわけではない。これもじつに奇妙なことだ。

世の中には、ある意見を否定したいと思っているのに、それが許されない人もいるだろう。そういう人の存在を無視して、その意見を「確実」だと言いきってしまうのは問題だ。なぜならそれは、自分と自身の賛同者だけが「確実性」を判断する立場にあり、反対派の意見など聞かなくてもいいと考えるのと同じだからだ。

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