田中角栄首相は今も根強い人気がある。なぜ彼は人を惹きつけるのか。角栄を師と仰ぐ自民党元幹事長・石破茂氏の自著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社、倉重篤郎編)より、2人のエピソードを紹介する――。
1989(平成元)年12月3日、田中角栄元首相が政界引退を表明した後、初めての里帰り。
写真=共同通信社
1989(平成元)年12月3日、田中角栄元首相が政界引退を表明した後、初めての里帰り。

ロッキード事件の最中、「丸紅」勤務の彼女と結婚

1983年はまた、私が結婚した年でもあります。ここで結婚にまつわる角栄先生とのエピソードもご紹介しておきましょう。

木曜クラブの事務所に入ってしばらく経ったころ、角栄先生に呼ばれて、こんなお話をいただきました。

「君には嫁がいないじゃないか。そしてそもそも君のうちには金がない。ついては、新潟の建設関係のお嬢さんで、いいのがいる」

これには慌てました。私には、どうしても結婚したいと思いながら付き合っている人がいたからです。ものすごくご機嫌を損ねるだろうと思いましたが、言わないわけにはいきません。

「も、申し訳ありません。じ、実は、大学の同級生で一緒になりたいと思っている人がおりまして」

角栄先生は、へー? という顔をして、詰めてきました。

「何だ、それは。どこに勤めているんだ」

ここで私は窮地に立ちました。彼女の勤め先は、あのロッキード事件の渦中にあった丸紅だったからです。「商社です」とごまかそうかと一瞬思いましたが、この先それで通しきれるはずもありません。仕方なく、さらに小さくなりながら、正対してきちんと(いえ、もしかしたら逃げ腰だったかもしれませんが)「ま、丸紅です」と答えました。

「馬鹿者」から表情が一変

角栄先生は一言、「馬鹿者」と仰って、激高しそうな様子をみせたのですが、ふと、考え直すようなそぶりで、「待て、その子の親はどこの出身だ」と聞いてこられたのです。私は心中、快哉を叫びました。彼女のお父上の出身は新潟だったからです。

おそらくかなりの得意顔で私が「ご出身は新潟です」と答えると、先生は急に柔和な感じに戻られ、「そうか、それならいい」と言ってくださいました。

その後、私は無事にその彼女と結婚できることになり、結婚式は83年9月22日、ホテルニューオータニで挙げることになりました。