ロシアがウクライナを攻撃する直前に、何が起きていたのか。東京大学先端科学技術研究センターの小泉悠准教授は「ウクライナの国境周辺では、ロシア軍の数が日増しに増えていた。大規模な戦争を始める能力が整いつつあった」という――。

※本稿は、小泉悠『情報分析力』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

ロシア ・ ウクライナの国旗
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「プーチンの頭の中」よりも「能力」に着目した

2021年の秋から2022年初頭にかけて、メディアから同じ質問を何度も受けました。すなわち、「ロシアはウクライナに侵攻するだろうか」ということです。当時、ウクライナ国境には多数のロシア軍が集結しており、これが単なる脅しなのか、本当に戦争が始まるのかを世界は固唾を吞んで見守っていました。冒頭のような質問が繰り返されるのは当然であったと思います。

非公開の場でも同じような質問を受けました。ロシアに投資をしている会社とか、もしヨーロッパで戦争が起きたら非常に困ると考えている会社の人たちです。こちらは自社の利益がかかっているので、もっと切迫感がありました。幾度となく繰り返されたこれらの質問に対して、私はいつも同じように答えていました。

「プーチンが本当に戦争を始めるかどうかはわからない。しかし、その気になれば非常に大規模な戦争を始められるだけの能力が整いつつある」

ロシア軍事のプロだったらバシッと答えろよ、と思われるかもしれません。実際、その方がウケたでしょうね。でも、私はこの答え方が最善だったと今でも思っています。軍事に関する情報分析というのは、こういう考え方に基づくものなのです。

人間の意図――この場合はプーチンの頭の中は、どうしたってわからない。プーチン自身だって最後の瞬間まで決心を保留しているかもしれない。だから、意図という曖昧模糊としたものを一旦脇に置いて、より外形的に把握しやすい「能力」の方に着目するのです。

ロシア軍の「能力」は上がっていた

戦争当事者それぞれの「能力」を掛け合わせたものを、軍事用語では「可能行動」と呼びます。A国はその気になったらどこまでできるのか、対抗するB国側はどこまで防ぎ切れるのか、というようなことです。仮にA国が少数の軍隊しか持っておらず、しかもそれらの大部分が駐屯地の中にこもっているのであれば、政治指導者が何を言おうと大戦争など始められるはずがありません。

他方、大規模な軍隊が攻撃準備態勢に入っているなら、政治指導者の号令一つで戦争を始めることはできます。ではB国側の対抗能力は……こんなふうに「能力」を分析の出発点にすることで、起こりうる事態の上限を把握するわけです。

この可能行動という点で見ると、私が繰り返し同じ質問を受けていた2021年の秋から2022年初頭は、非常に重要な時期でした。ウクライナ国境周辺に展開するロシア軍の数が日増しに増えていたからです。つまり、ウクライナに対して実施可能なロシアの行動の幅(能力)は広がり続けていました。

当然、ウクライナもこれを察知して動員をかけます。徴兵を終えて予備役になっていた一般市民男性たちが召集されたり、州ごとに編成された郷土防衛旅団が実働態勢に入るなどの動きが活発化しました。ということはロシア側が行動を起こす「能力」に対して、これを妨害するウクライナ側の「能力」も上がっていたわけですから、この双方を勘案しないと可能行動は出てきません。