披露宴会場を沸かせた田中角栄の「伝説のスピーチ」

20日後にはロッキード事件1審判決があるという日程でしたが、角栄先生は私の親代わりということで、ずっと母の横に立って来客に立礼をしてくださいました。

実は私たちは、角栄先生に仲人をお願いしました。すると角栄先生は「何を言っているんだ。お前にはもう、親父がいないじゃないか。俺は、お前の親父さんの代わりにお前のお袋さんの横に立ってやりたいんだ」と言われました。私も父と角栄先生の深い絆を見てきて、そうしていただくことが、天上の父にとっては何よりも有り難いことだろう、と思い、改めて親代わりをお願いしたのでした。

今振り返っても分不相応な、盛大な披露宴でした。角栄先生が親代わりで、主賓が当時蔵相を務めておられた竹下登先生でした。

妻の職場は丸紅でしたから、角栄先生が出席される結婚式に一体誰を招待したらいいか、相当議論があったようです。来てくださった丸紅関係者の皆さんは、角栄先生がスピーチで一体何を話されるのか、戦々恐々としていました。角栄先生は、先ほどの私とのエピソードをスピーチに織り交ぜてお話しになりました。

「石破君にはもう決まった女性がいるという。誰だと聞いたら『丸紅の女性』だと。何っ? 丸紅? しかし、丸紅はいい会社だ。うん、私のことがなければもっといい会社だ」

これは会場を大いに沸かせ、丸紅の皆さんからも笑顔が見えました。角栄先生のすごさが垣間見えるスピーチでした。

世代交代の暗闘

いずれ政治家になることを決意したわけですから、東京だけでなく、地元の鳥取でも披露宴をすることになりました。

その時に、微妙な政局のひだを感じる出来事もありました。もうお二人とも亡くなっていらっしゃるのでお話ししてもいいでしょう。

東京の披露宴で主賓になっていただいた竹下先生が、「何だったら、お前の地元の鳥取も主賓で行ってやろうか」と言ってくださいました。竹下先生はポスト中曽根の筆頭候補のニューリーダーであり、かつ現職の大蔵相です。大変ありがたい、と、勇んで目白に報告に行ったところ、角栄先生はそれについてウンと言わなかったんです。

「竹下では俺の代わりにはならない。俺の代わりは山下元利しかいない」と仰いました。

竹下先生が田中派内で派中派といわれた勉強会「創政会」を作ったのが85年2月7日、それに怒った角栄先生が脳梗塞で倒れられたのが2月27日ですから、表立って動きが出る1年余も前の話です。両雄並び立たず。その頃から角栄先生は竹下先生などの世代交代を求める動きに警戒心を持っていたのかもしれません。

こんな一幕のあと、地元・鳥取での披露宴には、角栄先生の采配通り、山下元利先生に来ていただき、角栄先生の代行として主賓を務めていただきました。