「後ろから鉄砲を撃つ奴」と言われ続けてきた
政治はなぜ国民の信頼を失ったか。やはり、この10年余り続いた安倍晋三総理の時代を振り返る必要があります。
私が安倍政治について語ると、あいつはいつも後ろから鉄砲を撃ってけしからん、という批判が起こります。後ろから鉄砲を撃って、という言い方は、同じ政党の幹部だったではないか、野党みたいなことを言うな、という趣旨だと思われますが、同じ政党にいるからこそ忌憚なく意見を言い、改めるべきは改めるのが、政権を守る、ということであり、それはむしろ同じ党の同志としての義務なのではないでしょうか。
それは、与党として政権を預かる、ということの重みを自覚する、ということでもあると思います。国民の生命、財産、人権を守るために、日々数えきれないほどの重要な政策決定、政治決定をしている政権与党であるがゆえに、決定に至るまでのプロセスにおいては、あらゆる角度から入念な議論を積み重ね、納得感を得なければなりません。それがまた民主主義的手続きの最も優れたところだと思います。
当然のことながら中には耳の痛い議論が出てきますが、それこそが政党の健全性を示すもので、そういったシビアな議論を経るからこそより良い選択肢が得られ、与党として国民の負託に応えられるのだと私は思っています。
表立った対立を良しとしない空気が流れ始めた
自民党は立党以来、党内で様々な立場から侃々諤々の議論を続けてきました。個別政策について取り扱う政務調査会の各部会でもそうですし、党議決定の最終関門である総務会では、さらに激しい議論が重ねられてきました。それが自民党の伝統の一つであり、私もその気風に鍛えられてきた者の1人です。
その甲論乙駁を良しとする文化がこの10年で随分と変わってきた、というのが私の実感です。論戦を嫌がるというか、党内で対立していると見られたくないという思惑が先行し、意見に違いがあるがあえて表での論戦は控える、というような傾向が顕著になっている感があります。あれだけ議論が沸騰していた総務会も最近はおとなしい。一言居士として有名な村上誠一郎さんの不在もあり、淋しい限りです。
ですから私は後ろから鉄砲を撃っているつもりは毛頭ありません。自民党の長年続いた良き伝統の継承者でありたい、という気持ちから、正対して意見を申し上げてきたつもりです。