何度でも失敗するけど、僕は自信満々だった

調理場には乾いて冷たい鉄板もあれば、食器洗浄機から出したばかりで熱々の鉄板もある。鉄とアルミの間に微量の水分が残ったまま電磁調理器で加熱すると、鉄板の中に入った水が膨張して、時には爆発したりするようなことがあるとわかってきた。

だから僕は、アルミを入れて軽量化した鉄板にどうしても水が入る可能性があるなら、その水を逃がすために小さな穴をあらかじめ作ればいいとメーカーさんに提案して即決したんです。この技術も会社として特許を取っています。私たちのビジネスの根幹である鉄板ひとつにも、こんなドラマがあります。

2006年、当時、東証マザーズに最年長の64歳で上場して話題になりました。しかし、従業員による店舗での暴行スキャンダルや食中毒事件、BSE(狂牛病)、病原菌O‐157などの社会的な騒動もあって、私も謝罪会見を開くなどしました。でも、デフレが長く続いているようなときこそ、逆にあくなき事業欲に駆られるんですね。賭けに出てやろうと僕は思った。それがいきなりステーキだったんです。

社長を退いて、このままで終わりたくなかった。世の中をあっといわせるような店をまたつくりたかった。日本人にステーキを身近なものにすることに大いに貢献してきたという自負もありました。それから、働くということが身に染みついているということですね。働き癖とでもいうのかな。人間は何度でも失敗するけれど、僕、実は自信満々だったんです。成功の反意語は失敗なのではなく、何もしないことですから

EYK、SPBが僕の座右の銘だ

23年11月、81歳にして、本物の国産A5ランクの最上級和牛ステーキを提供する「和牛ステーキ和邦」を、東京の両国国技館の真ん前でオープンして10カ月になろうとしています。

ひらめきなんて、いつも問題意識を持って仕事に取り組んでいないと決して出てこない。ペッパーランチもいきなりステーキも、すべて社長の僕が考えました。商品価格、原価率、メニュー、人件費、内装、家賃の交渉……。

ペッパーランチからいきなりステーキ、そして今の両国の「和邦」。時代と変遷はあるにせよ、僕はステーキ一筋で82歳になった今も毎日、店で肉を焼いている。せめて週末の土日に少し休むようになったのも最近のことです。僕は「苦労」という言葉を使ったこともない。「苦い労働」なんて実らないでしょう。EYK――笑顔、若さ、謙虚、それとSPB――素直、ポジティブ、勉強好きが座右の銘ですよ。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年10月4日号)の一部を再編集したものです。

(構成=樽谷哲也 撮影=ミヤジシンゴ 図版作成=大橋昭一)
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