82歳になった今も毎日、店で肉を焼く

いきなりステーキで急成長する前も、ひらめきで勝負に出て、さらにアイデアで常識を覆すような発明もして、事業を成功させてきました。

コックの修業を続けていた僕は、27歳のとき、東京・向島に洋食レストランを開業して、ポークソテーやエビフライを格安で売って大繁盛させていた。ステーキを食べるという習慣なんて日本にはなかったころです。でも、若い学生さんなら毎日でもいい肉を腹いっぱい食べたいものでしょう。

温めた鉄板にステーキ用の端肉とご飯をのせてステーキソースで味付けした従業員の賄いとして食べていたものを、お客用にアレンジして「ビーフペッパーライス」として半ば採算度外視の半額で売り出したら、毎日、店の前は長蛇の列です。わずか11坪、客席は12という小さな店でした。

最初のころは、3つのガスコンロで6分かけて鉄板を温めていたのですが、ピーク時には調理場が大変な高温になって、コックたちが次々と不調になってしまう。この鉄皿のために開発された業務用電磁調理器の1号機を調理場に導入しました。鉄板を適温の260℃に加熱するには1分ちょっとと非常にスピーディーで、調理場も暑くならないから働いている人たちもつらくない。さらに鉄板ごとに温度を感知するセンサーを備えて、適温になったら音で知らせるとともに加熱を自動で止める仕様に進化させました。ベテランでも入店まもない新人でもジューシーなステーキを焼くことができる。この仕組みを実用化させて僕は特許を取りました。

51歳のときに「ペッパーランチ」1号店を大船で

大ヒット商品とその料理設備をより充実させて、1994年、51歳のとき、低価格ステーキチェーン「ペッパーランチ」を神奈川・大船で始めて、各地のオーナーたちに経営を委託するフランチャイズ(FC)展開を全国で大規模に進めました。91年に日本政府が牛肉の輸入自由化に踏み切っていたことも大きな後押しになったでしょう。

大手ショッピングセンターから頼まれてフードコートへも出店してきました。試しにペッパーランチをオープンしてみたら、「ステーキなのに安い」「おいしい」と大盛況でした。ただし、多くのフードコートはお客が自分の席まで30メートル、50メートルと注文した商品を運ばなければならない。鉄板をもっと軽くしたいと考えたんです。そこで、熱伝導率がよくて軽いアルミを鉄板の中に組み込ませることはできないものかと、業者さん、調理機メーカーさんたちと検討や試験を重ねました。