お手本にしたのはタモリ、さんま、たけし
現場取材の経験がある人間が編集権を持って報道番組にかかわるのがニュースキャスターとすれば、久米は違った。
「僕は番組の進行にほとんどの神経を注ぎ、残りのわずかでニュースを理解し、コメントを考えていた。つまり司会者としてはプロでも、キャスターとしては素人だった」(前掲書、261~262頁)。
あくまで自分はテレビ司会者というスタンスで臨んだわけである。久米がお手本にしたのも有名ジャーナリストなどではなく、タモリ、ビートたけし、明石家さんまといったすぐれたエンターテイナーたちだった(前掲書、262頁)。
その点、久米宏は生粋の「テレビ人」であり、「中学生にもわかるニュース」という番組コンセプトは、テレビ最大の武器であるわかりやすさがニュースにも必要という考えからだった。
だから久米は、映像メディアであるテレビならではの情報の伝えかた、伝わりかたには細心の注意を払い、工夫を施した。それを久米は「神は細部に宿る」と表現する。
たとえば、ミニチュア模型などはそのひとつ。フィリピン革命のような出来事を伝えるときに、言葉や断片的な映像だけでは伝わりにくい。その難点を克服するため、建物の位置関係などがわかるマニラの街の模型をつくる。手持ちカメラを使って特定の建物にズームしたりすることで臨場感も出せる。
徹底された視聴者第一主義
1985年8月に起こった日航ジャンボ機墜落事故を振り返った際には、航空機内を模したセットをスタジオにつくった。そしてそこに、久米のアイデアで犠牲者520人の年齢や性別に合わせた520足の新品ではない靴を用意し、実際の座席表に合わせて並べた。
自民党総裁選のニュースで、積み木で情勢を説明したのも斬新だった。各派閥の人数に応じた高さの積み木をつくり、それを重ねたり崩したりすることで視覚的に伝える。その際、候補者の似顔絵がついた人形を積み木の傍らに置くことで、派閥政治の生々しさをイメージしやすくした。
また、ニュースとは無関係な細部についても同様だった。
それまで無機質な感じの多かった報道番組のセットに対し、『Nステ』では高級木材を使ったテーブルが置かれ、背後に応接セットもあるおしゃれなリビングのようなセットになった。テーブルも、サブキャスターの小宮悦子やコメンテーターの小林一喜と久米の目が合い、会話が弾むように湾曲したブーメラン状のデザインにした。
自分の服装やちょっとした持ち物、しぐさの一つひとつにも気を遣った。
『Nステ』が東京・六本木に当時できたばかりのアークヒルズからの放送だったので、服装は都会を意識した流行のスーツファッション。さらにトップニュースの内容によっても服装を変えた。いつも手に持つペンの色も、服に合わせた。
こうしたことはすべて、視聴者目線に立つがゆえである。だから番組中のVTRがわかりにくいときは、見終わった後「小林さん、いまのリポートはよくわかりませんでしたね」などとはっきり言う。そんな視聴者第一主義が、長く支持された最大の理由だっただろう。