ひとりカラオケで「うっせぇわ」を歌った齋藤孝の末路
「苦手なこと」や「下手なこと」はふつう、好きになれないものです。「上手になりたい」という向上心も起こりにくいでしょう。
けれども、そんななかに「下手でも、好き」というものはありませんか?
もしあるなら、はずかしがらずに「苦手で下手だけど、それが何か?」と開き直ってチャレンジしてみると、どんどんおもしろくなっていきます。
それが向上心のもと。だから、苦手でも下手でも「好き」なものは多ければ多いほどいい。さまざまな対象に“向上心の柱”が立って、「心の免疫力」が高められていくからです。
ぼくにも「苦手で下手」なものがあります。カラオケです。
たまに大学の卒業生とカラオケに行くのですが、非常に歌のうまい人がいます。歌う歌、歌う歌、90点台をマークするのです。大学入試がカラオケだったら、彼はどの大学でも合格するでしょう。
ぼくはというと、「70点」にも満たない。でもカラオケが嫌いかというと、好きなんです。だから「もっと上手に歌いたい」という向上心はあります。
それでコロナ禍で時間ができたとき、“ひとりカラオケ”で練習しました。Adoさんの「うっせぇわ」を選曲したところ、採点結果は60点台!
「この歌はあなたにはむずかしすぎます。もっとやさしい歌を選ぶといいです」
との評価でした。
ぼくは思わず画面に向かってひと言。「うっせぇわ」――。これ、実話です。
ただ採点内容をこまかくチェックしてみたら、音程もリズム感も、ほとんどすべての点数が低いのですが、「抑揚」だけは高得点でした。
そこで以後、自らを「抑揚の鬼」と名づけて、どんな歌を歌うときも抑揚だけは頑張るようにしました。
向上心に火をつける「開き直り」の力
こんなふうにぼくは、カラオケは苦手で下手であるにもかかわらず、「好きなものは好き」と開き直っています。この向上心がぼくの「心の免疫力」を支えている部分もあるような気がします。
「下手の横好き」ではないけれど、「下手だけど好き」というものは誰しもあるのではないかと思います。
得手・不得手や上手・下手は気にせず「好きなものは好き」と開き直って、おおいに励んでください。「心の免疫力」が強化されます。
鎌倉時代後期の随筆家であり歌人でもあった兼好法師は、『徒然草』(今泉忠義訳注、角川ソフィア文庫)の百五十段で、「下手でもどんどんやりなさい」といっています。
一部を要約すると、
芸能を修得しようとする人は、上手になるまでは人に知られないようにすることが多い。それでは芸の修得はおぼつかない。
未熟で下手でも上手な人にまじって、笑われたり、馬鹿にされたりしながらも、はずかしがらず、平気な顔で練習を続ければ、生まれつきの素質がなくても上手になる。
天下に聞こえた上手でも、最初は下手だといわれることもある。手ひどい侮辱を受けることもある。それでも精進を続ければ、世の権威にも、立派な指導者にもなる。
芸事に限らず、趣味でも、何かの学びでも、「下手だからはずかしい」と思っていては「やる気」のスイッチが入らず、向上心にも火がつきません。
「下手だけど好き」
「下手だから上手になりたい」
そういう気持ちが自分を突き動かしてくれます。
向上している感覚――これをぼくは「向上感」と呼んでいます。向上感があれば続きます。
兼好法師の教え通り、興味を覚えたものにはどんどん挑戦しましょう。