日本語の特徴を深く考察した森有正
水林さんによれば、こうした日本語の特徴について最も深く考察したのは、人生の大半をフランス語とともに過ごした森有正(哲学者・作家)だったという(『日本語に生まれること、フランス語を生きること』p.98。以下、ページ数の表記はすべて同書のもの)。
東大助教授だった森はフランスに一年の予定で留学したのだが、東大助教授のポストを擲ってまでもフランスに残ることを決意し、結局はパリで客死することになった。その森が日本語の本源的な特徴を「二人称的世界」としてつかみ出し、日本語には現実が嵌入している(入り込んでいる)と指摘しているという。
『日本語に生まれること、フランス語を生きること』から、森の思考の核心に迫る部分を引用してみよう。
日本語の特徴が引き起こす問題
では、日本語がこうした特徴を持っていることによって、いったい何が起こるというのだろうか。何か不都合があるだろうか?
(中略)
変化しない「彼」としての「私」が集まってつくる団体が「社会」なのだと森は言うわけだが(中略)、ほんとうの「私」、福沢諭吉が問題にした「あなた」によってゴム人形のように伸び縮みする「私」ではない、「彼」としての「私」がいなければ(社会は)成立も存立もしないということになろう。遍在的天皇制のもとでは、「「あなた」と「あなた」がわあわあ集まっている」共同体はべっとりと拡がっているが、「社会」は存在しないというのが、森のここでの思索の到達点なのである。」〔p.176。( )内は筆者〕