外国語の早期教育は必要なのか。脳科学者の黒川伊保子さんは「日本語を母語として育つと、母音と自然音を左脳で聴くようになり、特有の感性が磨かれる。3歳くらいまでに外国語教育を始めればネイティブのようにしゃべれるようになるが、同時にこの感性が弱まる可能性が高い」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、黒川伊保子『孫のトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

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日本語の使い手は自然音を聞き分けられる

よく質問される「早期の外国語教育」について、私の見解を述べておこうと思う。

結論から言えば、私自身はあまり積極的じゃない。その子の(その親の)生きる戦略にもよるけど、せっかく特別な感性を拓く日本語の使い手として生まれて、英語のような汎用言語で、脳の感性領域をまぜっ返すのはもったいなくない?

日本語は、母音を主体に音声認識する言語である。母音は複雑な波形のアナログ音で、自然界の音(笹の葉のこすれる音、小川が流れる音、風の音、虫の音……)とよく似た音声波形を持つ。このため、日本語で育つと、自然音を微細に聞き分ける能力が高い。

具体的に言うと、日本語の使い手は、自然界の音を左脳(知覚した音に情緒的な意味を付す場所)で聴くのである。

ひぐらしはカナカナ、笹の葉はサラサラ

ひぐらしのカナカナという鳴き声を聞いて寂寥感を覚えるのも、笹の葉のサラサラいう音を聞いて清涼感を覚えるのも、日本語の使い手に強く働く感性なのだ。このことは、角田忠信先生の『日本語人の脳』(言叢社)に詳しい。

一方、英語は子音を主体に音声認識する言語で、英語を母語とする人は、母音にほぼ左脳が反応しない。自然界の音にも同様で、日本語人のように、左脳に神経信号が流れない傾向にあるのだという。

ちなみに、ここで言う「日本語人」とは、日本語を母語として育った人たちのこと。遺伝子や国籍に関係なく、日本語を母語として育つと、母音と自然音を左脳で聴くようになるため、厳密には「日本人」ではない。日本人に生まれても、日本語が半端なら、この限りではない。