外国語は大人になってからもマスターできる

というわけで、「早期の外国語教育をどう思いますか?」と聞かれれば、私はこう答えている。

「母親がしたいのならすればいい。何をしても、しなくても、脳には得るものと失うものがある。その子を10カ月おなかに入れていた母親がしたいと思い、すべきと直感するなら、それがその子に必要なチューニングなのでしょう。――ただ、少しでも迷いがあれば、勧めない。ママ友に『ゼロ歳からの英語教育はマスト。小学校で授業についていけなくて泣くよ』なんて脅されて、しぶしぶ通うのなら、美しい日本語を使う機会を増やすべき。母親の直感に従って」

外国語は必要なら、大人になってからだってマスターできる。コミュニケーションのツールなら、ネイティブのような発音じゃなくたっていいわけだし。超一流になっちゃえば、大谷翔平選手のように、美しい日本語を堂々としゃべって、なおかつ尊敬されるわけだし。

情報には「出逢うべきとき」がある

その他の早期教育も、親たちの気持ちで決めればいい。

ただ、一つだけ、親たちに教えてあげてほしいことがある。脳は、情報と、出逢うべきときに出逢うことが一番なのだということ。

与えたい情報を、子どもの周辺に用意するのは素晴らしいことだけど、強制しないで、子どもの脳が自然に出逢うのを待ってあげてほしい。その「何か」と目が合って、子ども自身が触れたいと願って手を伸ばすとき、脳は最大限の感性情報を獲得する。

足元に散らばった文字や数字、おもちゃで遊ぶ幼児
写真=iStock.com/dvulikaia
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1990年代、様々な手遊びのアイテムが集合した、プレイセンターなどと呼ばれる知育玩具が流行った。1枚のプレートに、ダイヤル、押しボタン、レバー、コンセント、ワイヤーに球を通したものなどが収まっていて、あらゆる手の動きをこのプレートで体験できる。

布製のそれもあって、リボンをほどいたり、ボタンをボタンホールに通したりして遊ぶものもあった。手の制御は、脳を統合的に使う、とても知的な行為なので、「知育玩具」の名に恥じない、いいおもちゃだと思う。この手のおもちゃは、今もある。