「コンパクトシティ化」を促進すべき
しかし、戦後しばらくすると事情は一変する。経済成長が進むにつれて、農業から離れる人が増えていったのである。
それでも団塊ジュニアが生まれるくらいまでは、長男だけは地元に残ったり、都会に馴染めずUターンする人がいたりして、旧来の家族制度やコミュニティは、まだ保たれた。だが、やがて山間部から過疎化が進んでいった。
農地を維持してきた最後の世代と言える団塊世代が高齢化し、車の運転すらも難しくなると、農業を続けることができなくなった。そして今、奥地まで開拓された日本中の農地は放棄されつつある。
これは、いってしまえば当然の帰結だ。ライフラインのインフラ整備はタダではない。予算が限られているなかで、人がほとんど住んでいないような土地のインフラを維持、充実させる余裕はないのだ。もはやその財源は枯渇しつつある。
かといって、このまま地方が廃れていくのも忍びない。手遅れにならないうちに、地方のコンパクトシティ化を促進するべきだ。
便利で暮らしやすい、魅力的な街が地方に形成されれば、出身地に戻ってくる人や新たに移住する人も出てくるだろう。それが東京一極集中の緩和と地方経済の活性化につながることは言うまでもない。
世界随一、日本の最大の売りは「水」である
戦後、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国にまで上り詰めた日本だが、今では下降線を辿る一方だ。2010年あたりに中国に抜かれて第3位になり、現在はドイツに抜かれて第4位。次はインドに抜かれるという見立てもある。
そんななか、日本が本当に世界で勝負し、トップをとるには、日本人であること、そして日本に住んでいることのアドバンテージを生かして、競争が緩いところを選ぶしかない。
そのアドバンテージとは何か。私は自然環境、とくに「水」だと考えている。「湯水の如く」という言葉があるとおり、日本は豊かな水資源に恵まれており、インフラも行き届いている。
日本で暮らしていると、蛇口をひねれば、そのまま飲めるほど清浄でおいしい水がいくらでも出てくるのは当たり前という感覚だろうが、それは世界の当たり前ではない。
中東やアフリカなどには水不足にあえいでいる国や地域がたくさんあるし、欧米では、飲料水は「ボトルに詰めて売られているもの」だ。日本の水道料金とて有料ではあるが、欧米人からすればタダ同然である。
日本は水に恵まれた世界有数の国なのだということを、日本人はもっと自覚したほうがいい。世界で流行っていることにイチから挑戦するよりも、すでに潤沢にあるリソースを活用するビジネスを考えたほうが、よほど効率的に経済力を高められるというものだ。