自国の領土から石油が採れる「産油国」で生きるのは幸せなのか。中東調査会研究員の高尾賢一郎さんは「経済学や政治学で『資源の呪い』と言われるものがある。経済は停滞し、政治的にも民主化が進まない現象だ。ここで幸せを感じられるのは一部の人々だけである」という——。

※本稿は、高尾賢一郎『サウジアラビア 「イスラーム世界の盟主」の正体』(中公新書)の一部を再編集したものです。

サウジアラビアの街
写真=iStock.com/MOHAMED HUSSAIN YOUNIS
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石油により国家財政を成り立たせている

日本を含む多くの国家は生産国家と呼ばれる。生産国家とは、原料や製品を生産して国内外で販売し、これによって得られる対価の一部を国家が税金として徴収し、財政が機能する国家を指す。

これに対して、サウジアラビアはレンティア国家と呼ばれる。語源であるレントは「地代」を意味する言葉で、経済学では投資や資産からの収益を指す。つまり、石油という天然資源による収入を分配することで国家財政を成り立たせているわけだ。「不労所得」といった、否定的な意味も込めた言葉で表現されることも多いレントは、国内経済だけでなく政治体制や社会構造にも大きな変化をもたらした。ここからは、産油国としてのサウジアラビアの特徴を国内の状況から見ていこう。

もし、自宅の庭から石油が湧き出たならば——こんな夢を見た人は少なくないはずだ。夢の続きは、大地からあふれ出す石油を売りさばき、働かずに富を得て裕福な暮らしを営むことだ。もっとも、これが成り立つには単純に考えて二つの条件が必要になる。一つは、石油が湧き出た場所が自分の所有する土地であること。もう一つは、十分な富を得るだけの量の石油が採れることである。この点、サウジアラビアをレンティア国家とさせた要因は、石油が発見された時点でアラビア半島東部が自国の領土であったこと、そしてそこで自国の需要を上回る量の石油が採れたことだといえる。

テクノクラートの存在感を示した「オイルショック」

サウジアラビアの石油産業を支えたのは、SoCalの現地子会社、カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニー(CASOC)である。同社は1944年、アラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー、通称アラムコ(ARAMCO)と名を変えた。今日、石油の埋蔵量・生産量・輸出量でいずれも世界のトップ3に入る産油大国を支える、国営石油会社サウジ・アラムコの前身である。

サウジ・アラムコを支えてきたのは、サウジアラビアの近代化に貢献した技術官僚(テクノクラート)だ。1962年に任命されたアフマド・ザキー・ヤマニー石油大臣(1930~2021年)はその代表的人物の一人である。彼はメッカのウラマー家系に生まれながらテクノクラートという世俗エリートに転身したユニークな経歴を持つ。

財務省に入省後、アメリカとイギリスに留学して法学を学び、帰国後は再び財務省で税務に携わったほか、当時皇太子であったファイサル国王の司法顧問に抜擢されるなど、法務分野でも活躍した。石油大臣としては、産油国間の原油価格制定のための法整備やアラムコ国有化に向けた交渉役を担ったほか、1968年のOAPEC創設にかかわり、さらにはイスラエル支援国への石油禁輸措置、すなわちオイルショックを演出した。サウジアラビアの存在感を国際社会に示したオイルショックが、テクノクラートの存在感を示すものでもあったわけだ。