国営企業を通じて石油の収益を握り、国家財政を潤してきた
1983年にアラムコ会長に就任したアリー・ナイーミー(1935年生)のもと、同社は1988年にサウジアラビアン・オイル・カンパニー、つまり現在の国営会社サウジ・アラムコとして再出発した。サウジアラビア東部の小村に生まれたナイーミーは、羊飼いの仕事を手伝いながら育ち、両親の離婚もあって12歳からは学校に通いながらアラムコの使用人として働いた。その働きぶりが幹部の目に留まり、社内で事務員として採用された後はアメリカ留学の機会を与えられた。そして帰国後は、国営企業へ移行するさなかのアラムコで技術職、管理職を務め、やがて頂点に上りつめた。
さらに1988年、ナイーミーはサウジ・アラムコの最高経営責任者(CEO)に就任し、1995年から2016年までは石油大臣も務めた。日本でいえば野口英世や松下幸之助を彷彿とさせる、立志伝中の人と呼ぶにふさわしい経歴だ(画像1)。
アラムコが国営企業となったことで、サウジアラビアは国有財産としての石油の収益を一手に握り、これを国庫に収めることで国家財政を潤してきた。石油部門による収益は国家歳入の7~8割、GDPに占める割合は1970年以降、最も高かった1979年に87%超を記録した(The World Bank)。この潤沢な資金によって、政府は国民に税金を課さず、一方で手厚い福祉や補助金政策を用意してこられたわけだ。
労働者の3分の1は公務員、「資源の呪い」の実態
サウジアラビア人労働者のうち、約3分の1は公務員とされる。公共部門の労働者に範囲を広げると、その割合は7割ほどに拡大するともいわれる。日本では労働者全体で公務員が占める割合は1割以下で、その差は歴然だ。民間部門で働く人が少ないことの理由は、まずもって産業の少なさにある。
1960~70年代に世界の産油諸国で起こった石油国有化の波をへて、各国は歳入を拡大させることに成功した。しかし経済は停滞し、政治的にも民主化が進まない。こうした現象を、経済学や政治学では「資源の呪い」と呼んできた。ここでいう呪いとは、多すぎる富は人を堕落させるといった道徳論の類ではなく、大雑把にいえば以下のようなものだ(マイケル・L・ロス『石油の呪い』)。
資源——正確にいえば鉱物資源、さらにその大部分を占める石油——が、国家予算を賄うほどに豊富に採れれば、国家はほかの産業を必要としなくなる。しかし石油は、他国が必要とし、購入するという前提が成り立たなければ富をもたらさない。このため、石油に依存した経済は国際情勢に伴う市場の動向に大きく左右される。