ジョージアでは「立派な社会人になれ」と言われることはない

誰もが責任感やプロフェッショナル精神をもって仕事に取り組むのは、皆さんの中に「社会人とはそういうものだ」という共通認識があるからではないでしょうか。

「社会人」という言葉は、社会の一員である人、社会の中で生きる人といった意味合いでしょう。日本人は、どんな場面でもこれを強く意識しているように思います。これは、そうした意識を持つよう育てられた、つまり子どものころから社会人になる準備が進められてきた結果だと思います。

日本では、大人が若者に「そんなんじゃ立派な社会人になれないよ」と言ったりしますよね。でも、私はジョージアでそうした言葉を聞いたことは一度もありません。若者に将来について何か言うとしたら、「大人になったら幸せな家族を持ってね」「家族を大切にしてね」という感じで、立派な社会人になってねと言う人はまずいないでしょう。

キッコーマン勤務時代、日本の会社員のスキルに驚かされた

これが日本の特殊なところであり、いいところでもあります。立派な社会人になろうと思うと、しっかりしたスキルを身に付けようとか、責任感を持とうとか、人の役に立てるようになろうとか、自然とそう考えるようになりますよね。だから普通の人のレベルが高いのではないでしょうか。

ごく普通の会社員が、別にそこまで求められていないのに極めて高度なことを当然のようにやり遂げる。私はキッコーマンに勤めていたころ、そんなシーンに何度も出くわしました。こんなことができるのは、一人ひとりの中にある「普通」の水準が高いからでしょう。

キッコーマン勤務時代、『日本再発見』より

キッコーマンは大企業だから優秀な人が集まっていたんだろうと思われるかもしれませんが、それは違います。確かにキッコーマンの皆さんは優秀でしたが、私が仕事でご一緒したお得意先の方々、一般的にはあまり有名ではない企業の方々も、やはり「人」のレベルは非常に高いものでした。