外国人旅行客は「日本では落とした財布が交番に届くことが多い」と聞くと驚くという。こうした日本人の倫理観はどのように形成されたのか。仏教研究家の瓜生中さんは「日本人は歴史的に他社と共同で生活するムラ社会を築いてきた。その結果、個人の観念が希薄になり、社会秩序を保つ倫理観の高さを備えた」という――。

※本稿は、瓜生中『教養としての「日本人論」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

なぜ日本人はお辞儀をするのか

若いサラリーマンが街中で携帯電話をかけながらぺこぺこお辞儀をしている姿をよく見かける。考えてみれば不思議な光景で、恐らく電話をしながらお辞儀をするのは日本人ぐらいのものだろう。ことほど左様に日本人は老いも若きもよくお辞儀をする。そこで、日本人は礼儀正しい民族であるということを自他ともに認めている。

このように、日本人がよくお辞儀をするのは神に対する態度のあらわれで、古くから培われてきたものである。神社の神前には「二拝二拍手一拝」という看板が掲げられている。言うまでもなく神前では2回平身低頭して、2回拍手を打ち、最後に1拝する。

これは神に対して最大限の恭敬の意を示す所作であるが、それが人間にも適用されているのである。神に対しては「二拝二拍手一拝」のように最大限の礼を尽くすが、人間の場合には長幼や親疎などによってお辞儀も使い分けられている。

例えば師や先輩、利害関係において優位に立っている人に対しては深々と頭を下げて鄭重に対応するが、友達や親族に対しては頭の下げ幅は小さくなり、ごく親しい相手には会釈程度で済ますこともある。

お辞儀
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座布団を勧められてもすぐには応じない

また、近年は椅子に坐る生活が一般化しているが、日本には畳の文化があり、畳の上に坐る生活が長きにわたって続いてきた。他家を訪れたときには座布団を勧められても2、3回は固辞してから坐るのが礼儀とされてきた。これも日本独自の文化ということができるだろう。

もちろん、海外にも挨拶をする文化はある。しかし、とりわけ、欧米人は長幼の序や身分関係を重んじないことから、年少の者や下位の者が年長者や上位者に殊更に深々と頭を下げる習慣は見られない。ただし、抱擁や握手、接吻といった日本人には見られない習慣がある。

また、インドには五体投地という頭から足までひれ伏して神に恭敬の意を捧げる風習があり、日本にも仏教を通じて伝わり、寺院の法要などでは今もこれに近いことが行われている。しかし、それはあくまでも宗教的な儀礼であって、対人間に関してはそのようなことが行われているわけではない。