大昔の日本では男女はどのように出会いを求めたのか。仏教研究家の瓜生中さんは「平安時代には泊まり込みで『念仏会』があった。その日は無礼講で、男女が信仰そっちのけで性を謳歌していた」という――。

※本稿は、瓜生中『教養としての「日本人論」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

奈良時代の男女の出会いの場

男神ひこかみに 雲立ち上り 時雨降り 濡れ通るとも 我や帰らめや
(男神の峰に雲が湧き上がり、時雨が降ってびしょ濡れになっても、〈私は〉絶対に帰らない。今夜はとことん交わるつもりだから)
(『万葉集』巻九高橋虫麻呂歌集)

この歌は筑波山の麓で歌垣を行ったときの歌である。『万葉集』には「歌垣」の歌というのが多く収録されている。歌垣とは若い男女が山に集まって歌を詠い合い、最終的には男女がカップルになって性を謳歌おうかするものである。

もともと天皇などが高い丘の上などに登って一円の地勢や民の生活状況を視察する「国見」に起源があると言われ、農民の間でも高みに登って周囲の田畑の状況を見てその年の豊凶を占う農耕行事に発展したらしい。

これが若い男女の求婚や見合いの場となり、さらには性の解放の場ともなったようである。「歌垣」の語は男女が垣根のように円陣を組んで「歌を懸け合った」ことに由来するといわれ、常陸(茨城県)の筑波山や摂津(大阪府)の歌垣山、肥前(佐賀県)の杵島山などが歌垣の山として知られている。恐らくこのとき男女が互いに手をつないで、西欧のフォークダンスのように踊ったのだろう。

筑波山
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人類は古来性的欲求の抑制に努めてきた

性的欲求は人間の欲望の中でも最も抑えがたいものであるが、その性的衝動を発することによって人間はしばしば過ちを犯すのが常である。イザナミのようにいとも簡単に同意してくれれば良いが、同意なしに性行為に至れば立派な犯罪になって身を持ち崩すことになる。

だから、古来宗教や哲学は性的欲求の抑制に力を入れてきた。紀元前3世紀にギリシャのゼノンが提唱したストア学派(ストイシズム)は、理性を磨くことによって性的欲求を克服しようとした。これがストイック(禁欲主義)の語源である。

仏教の戒律では出家者は男女が二人きりで話をすることすら禁じており、在家者も配偶者以外と交わることを固く禁じている。キリスト教やイスラム教などの宗教も性的欲求を厳しく戒めている。