泊まり込みの「念仏会」が男女の出会いの場に

性的欲求は人間が本性として兼ね備えているもので、容易には断つことのできない難物である。だから、歌垣のような解放の場を設けることも世界各地で行われてきた。

日本では平安時代の末から鎌倉時代にかけて念仏が大流行し、各地で在家向けの念仏会が開かれるようになった。そして、念仏会には泊まり込みで男女が集まり、無礼講の場になったらしい。兼好法師も『徒然草』の中で念仏会のときに横にいた女性に寄り添われて閉口したことを記している。

また、ギリシャ神話に登場する酒の神ドィオニュソス(バッカス)は各地の村を巡って若い男女を連れ出し、山の中や草原に集めて裸体に近い状態で飲めや歌えの大宴会を開き、性を謳歌させたという。これをバッカス祭(バッカナール)といい、バッカスはインドまで行ってこの祭りの普及に努めたという。

この祭りはすでに紀元前には風紀を乱すとして禁止されたようだが、紀元1世紀のポンペイの壁画にはバッカナールの光景を描いたものが見られる。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「アンドロス島のバッカス祭」
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作「アンドロス島のバッカス祭」(写真=プラド美術館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

「祭礼」は今も昔も男女の出会いの場

元来、「祭り」とは加護を求めて神を鄭重にまつる厳かな儀礼だった。だから、村人だけで静かに行われる祭りも各家々で行われる年忌法要なども、「祭り」という意味では祇園祭や三社祭のような多くの人が参集する祭りと何ら変わらないのである。

柳田国男は奄美大島の古老が「今日は小さな神さまがお降りになります」と言っていたことを報告している。「小さな神さま」とは村人が静かにまつる神という意味なのだろう。そして、柳田は「祭り」と「祭礼」とを区別し、村々や家々で行われる静かなものを「祭り」、神輿や山車が出て多くの見物人で賑わうものを「祭礼」としている。

また、とくに「祭例」は「ハレの日」で日常的な「ケの日」とは異なる日である。その意味で祭礼はバッカナールと同じように、常識や因習などから解放される日でもある。今も行われている祭礼の中には江戸時代ごろまで男女の出会いの場であり、性的な解放の場であったものも少なくない。そして、今も祭礼は若い男女にとっては出会いの場である。