日本を礼賛する記事やテレビ番組が後を絶たない。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「ウォシュレットや試合後のゴミ拾いに感動する外国人で日本人が気持ち良くなっている間に、経済成長では抜かれてきた。日本人は自国が衰退途上国であることを自覚すべきだ」という――。

※本稿は、中川淳一郎『日本をダサくした「空気」 怒りと希望の日本人論』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

森林でゴミ拾いをするボランティア
写真=iStock.com/da-kuk
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「日本礼賛」になぜ人気が集まるのか

日本礼賛記事が横行してしまうのも、分からなくはない。結局は「読者がそれを求めている」ということなのだから。

たしかに、日本はすごい国である。人々はそれなりに穏やかだし、「おもてなし」の精神を備えた人も少なくない。困っている様子の人を見かけたら「どうしましたか?」と声をかけ、助けようとする場面もわりと多い。エレベーターでは「開」ボタンを押して他人がスムーズに出入りできるようにする。駅のホームでも整然と並んで、できる限り“押し合いへし合い”状況に陥らないよう皆が心がける。

大したものだ。店は総じて清潔に保たれているし、観光地やテーマパーク、レジ待ちの行列などで割り込みをするような人もほぼいない。電車は定刻どおりに到着して、1分でも遅れようものなら車掌が謝罪をする。

スーパーに並べられた商品は見事なまでに品質が保たれており、不格好な野菜などはまず見つからない。肉や魚介類の下処理も丁寧だし、惣菜は多種多様で選ぶのが大変なほど。ガソリンスタンドでは念入りに窓を拭いてもらえる。

日本ほど丁寧な国は、おそらく他に存在しない。だから、日本人はもっと自信を持っていい。別の表現をするなら「外国人から折に触れてホメてもらわないと、自分たちがちゃんと認めてもらえるか、嫌われていないか、不安になってくる」みたいな卑屈さは持つべきではない、ということだ。外国人様から称賛されないと、自我が保てないとでもいうのか?

外国人のリップサービスを真に受ける日本人

そもそも、それなりの常識を持った人間、発言権のある人間、公的な立場の人間であれば、外国に行ったらその国、そして人々、文化、食べ物などをホメたりするのが当たり前の作法である。基本的には本心からの発言であることが多いと思うが、少なからずリップサービスもあるだろうし、ちょっと感心した程度でも「たいへん感銘を受けた」と話を盛ることもあるだろう。

別に斜に構えて「本当にそう思ってる?」「お世辞でしょ」などと猜疑心さいぎしんを持つ必要はないが、過剰に反応をうかがったりする姿勢も不要である。「そりゃどうも」「ありがとうね」くらいでちょうどいい。

それなのに近年の日本人、そして日本のメディアは外国様から少しでもホメられると、やたらと反応してしまう。その最たるものがWBC関連記事のタイトルであり、サッカーやラグビーW杯のたびに登場する「日本サポーターが観客席のゴミを片付け、世界が賞賛」「『日本代表のロッカールームとベンチにはゴミがひとつも残されていない!』日本人の配慮に世界が感動」的な記事である。