※本稿は、中川淳一郎『日本をダサくした「空気」 怒りと希望の日本人論』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
「日本礼賛」になぜ人気が集まるのか
日本礼賛記事が横行してしまうのも、分からなくはない。結局は「読者がそれを求めている」ということなのだから。
たしかに、日本はすごい国である。人々はそれなりに穏やかだし、「おもてなし」の精神を備えた人も少なくない。困っている様子の人を見かけたら「どうしましたか?」と声をかけ、助けようとする場面もわりと多い。エレベーターでは「開」ボタンを押して他人がスムーズに出入りできるようにする。駅のホームでも整然と並んで、できる限り“押し合いへし合い”状況に陥らないよう皆が心がける。
大したものだ。店は総じて清潔に保たれているし、観光地やテーマパーク、レジ待ちの行列などで割り込みをするような人もほぼいない。電車は定刻どおりに到着して、1分でも遅れようものなら車掌が謝罪をする。
スーパーに並べられた商品は見事なまでに品質が保たれており、不格好な野菜などはまず見つからない。肉や魚介類の下処理も丁寧だし、惣菜は多種多様で選ぶのが大変なほど。ガソリンスタンドでは念入りに窓を拭いてもらえる。
日本ほど丁寧な国は、おそらく他に存在しない。だから、日本人はもっと自信を持っていい。別の表現をするなら「外国人から折に触れてホメてもらわないと、自分たちがちゃんと認めてもらえるか、嫌われていないか、不安になってくる」みたいな卑屈さは持つべきではない、ということだ。外国人様から称賛されないと、自我が保てないとでもいうのか?
外国人のリップサービスを真に受ける日本人
そもそも、それなりの常識を持った人間、発言権のある人間、公的な立場の人間であれば、外国に行ったらその国、そして人々、文化、食べ物などをホメたりするのが当たり前の作法である。基本的には本心からの発言であることが多いと思うが、少なからずリップサービスもあるだろうし、ちょっと感心した程度でも「たいへん感銘を受けた」と話を盛ることもあるだろう。
別に斜に構えて「本当にそう思ってる?」「お世辞でしょ」などと猜疑心を持つ必要はないが、過剰に反応をうかがったりする姿勢も不要である。「そりゃどうも」「ありがとうね」くらいでちょうどいい。
それなのに近年の日本人、そして日本のメディアは外国様から少しでもホメられると、やたらと反応してしまう。その最たるものがWBC関連記事のタイトルであり、サッカーやラグビーW杯のたびに登場する「日本サポーターが観客席のゴミを片付け、世界が賞賛」「『日本代表のロッカールームとベンチにはゴミがひとつも残されていない!』日本人の配慮に世界が感動」的な記事である。